無理と無茶の違いって?

「無理はするけど、無茶はしない」 (1つ目)

こんな言葉を聞いて、ふと、
2つの言葉の意味の違いがわからない自分が居ました(笑)

無理と無茶の違いって、何なんでしょうね?

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辞書を調べてみました!?

【無理】〜大辞泉(Yahoo!)
・物事の筋道が立たず道理に合わないこと。
 「―を言われても困る」「怒るのも―はない」「―な言いがかり」
・実現するのがむずかしいこと。行いにくいこと。
 「―を承知で、引き受ける」「―な要求をする」
・しいて行うこと。押しきってすること。
 「もう―がきかない」「―に詰め込む」「あまり―するなよ」

【無茶】〜大辞泉(Yahoo!)
・筋道が立たず、道理に合わないこと。
 「―を言う」「―な考え」
・程度がはなはだしいこと。度を越していること。
 「―な飲酒」
・知識がないこと。

どちらも「物事の筋道が立たず、道理に合わないこと」
と言う意味があるようです。

興味深いのは、無茶の意味にある「知識がないこと」でした。

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辞書を調べてみました!?

【無理】〜大辞林(Yahoo!)
・道理に反すること。筋道の通らないこと。
 「―を通す」「―な言い分」「怒るのも―はない」「―からぬこと」
・行うのがむずかしいこと。
 「―な注文を出す」「子供には―な仕事」
・困難を承知で強引に行うこと。
 「―に詰め込む」「―することはない」「―がきかない」「―がたたる」

【無茶】〜大辞林(Yahoo!)
・道理に合わないこと。筋道の立たないこと。乱暴。無茶苦茶。
 「―をするな」「―な言い分」「―な運転」
・(悪いことの)程度がはなはだしいこと。普通でないこと。めちゃ。無茶苦茶。
 「―なダイエット」
・知識がないこと。知らないこと。
 「生国はいづれ片田舎の者、…江戸のことは―なり」

無理は、行うのがむずかしいだけで、やってやれないことはない感じ。
無茶は、経験の無さからくる行為のように見えます。

子どもと大人との違いと言われることがありますが、
なるほどなと思いました。

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辞書を調べてみました!?

【無理】〜広辞苑第六版
・道理のないこと。理由のたたないこと。
 「―を通す」「―を言う」「怒るのも―はない」
・強いて行うこと。
 「―をして体をこわす」「―に連れ出す」
・行いにくいこと。するのが困難なこと。
 「―な頼み」「子供には―だ」

【無茶】〜広辞苑第六版
・筋道が立たないさま。
 「―なことを言うな」
・道理や常識を顧みないさま。乱暴に扱ったり、したりするさま。
 「―をして体をこわす」「―な積み方」
・程度をこえているさま。大変。
 「―に暑い」
・よく分からないさま。知識がないさま。
 「生国はいづれ片田舎の者、遊学の間四五年になれど江戸のことは―也」

無理は、困難だけど、強いて行うこと。
無茶は、常識なしに、限度を超えて行うこと?

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ここのブログ「無理と無茶?」の意見が参考になります。

【無理】
・自分で責任を取れる範囲で限界を知っていく事

【無茶】
・何も考えずに責任が取れなくなる事

責任と言う結果に視点を置いての言葉。
なるほどねェ。

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「無茶」できるのは若いうちだけ、なる見方もあります。

「無理するよりは、無茶をしたい」 (2つ目)

こんな言葉を聞くと、「うん、頑張れよ!」と励ましたくなります。

無茶することは、夢を追っているようで素敵に見える時があります。
昔の自分を思い出し、若さっていいな〜って思います(笑)

たまに自分に酔う余り「自分は天才だ!」と勘違いしてる人もいます。
ボクも「天才」と「秀才」の違いかな?と思ってた時期がありました。

やる前から自分の限度を直感で知っている人を天才と言い、
やった後でも自分の限度をわからない人を馬鹿と言う。
天才は無茶してるように見えて、実は無茶はしていない。
馬鹿と天才とは紙一重のように見えて、実はそうではない。
それは本人が一番自覚していることなのかも知れない。
。。。こんな感じ^^; 痛かった。

周囲の限度を超えてるだけでは、無茶するとは言わない。
自分の限度を超えてるときに、無茶すると言うのだろう。

夢にたどり着くまでの筋道が見えないときに無茶しがちです。
温かい目で見守りながら、サポートしたいです。

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一方で、
無理することは、何かを気にしてか、窮屈な感じにも見えます。
このようなマイナス的なイメージを持つ人も、
どこか勘違いしてるような気がします。

嫌々やっても、誰もいい気分にはなりません。
後味の悪い、ずさんな結果が待っているだけです。
そう意味での「無理」するのは、確かにイヤ。
でも、自分がやりたくない気持ちのままに無理することは、
無茶してることと、何ら変わらないんじゃないでしょうか?

そう考えると、無理とは、
自分で自分の心にかけるブレーキなのかも知れません。

若いうちに「無茶」を繰り返すことで、
最後には「無理」に至るのかも知れません。
逆に、若いうちから「無理」を繰り返すことで、
大人になってから「無茶」に至るのかも知れません。
人生とは不思議なモノです。(2008/11/09追記)

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いろいろとごちゃごちゃしてきたので、
少し考えをまとめてみます。

1つ目の考え方。 「無理はするけど、無茶はしない」
無理は、自らの知恵を使って、自分の意志で未来を開こうとする能動的な行為。
無茶は、自らは何も考えないで、単に結果を運まかせてるだけの受動的な行為。

2つ目の考え方。 「無理するよりは、無茶をしたい」
無理は、自らの意思を押し込めて、他人の言うがままに動く受動的な行為。
無茶は、自らの意思を積極的に出して、他人を無視して動く能動的な行為。
(2008/11/09追記)

この捉え方の違いは、今までをどうやって生きてきたか、
今をどう生きているかによって違ってくるのだと思います。

若いときには、無茶することも必要だけど、
ずっとそのままだったら、いつまで経っても成功できないだろうし、
たとえ成功できたとしても、すぐに転落してしまう。

無茶をしたら、成功したにせよ、失敗したにせよ、
そこから何か教訓を得えようとするか、しないかが、分かれ目?

「運も実力のうち!」

成功し続ける人は、運は自分の力で導けることを知っています。

「無理はするけど、無茶はしない」 (1つ目)

たぶん、この言葉が教えてくれてることは、
「継続的に成功し続けるため」の必要条件なんだと思います。
「人生はギャンブル!」とは、よく言ったもんです。

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ボクの意見は、こんな感じです。
自分の器を知った上で行うことが「無理」。
自分の器に関係なく行うことが「無茶」。

どちらを選択するか、今までの経験に加えて、
目的の有無が大きな鍵を握っているんだと思います。

目的がはっきりしてる人は、たぶん、無茶はしません。
逆に、まだ目的がぼんやりしてる人は、無茶するような気がします。
それで、新しい道が開けるなら、もうケモノっす♪って感じに。
だから、無謀かもしれなけれど、若さだとも感じました。
(2008/11/09追記)

第50回 テーマ『無理と無茶』 / ウリ坊の『人生は日々勉強ナリ』

[無理]というのは身体・精神の限界を超えても、
それを理解した上で何かを行う状態と考えます。
[無茶]というのは身体・精神の限界は無視して、
考えなく何かを行う状態と考えます。

この考え方は、どちらかと言えば1つ目に近いでしょうか。
(2012/4/16追記)

「無理」と「無茶」の違い〜本当の意味で、お客様の立場にたつということ / 集まれ!社労士受験生! さくらとひまわりのお花見日和 2011年10月07日

社長がこう言いました。

お客さんの「無茶」はきかなくっていい。
でも、「無理」は聴かなあかん。と。

そこで私、、
「え、無理と無茶ってどう違うんですか?」と聞くと、

無理は、頑張ったら応えられること。
それに対して、無茶は、「頑張ったらできる」と言う範囲を超えているもの。

教えてくださいました。

なるほど、なるほど。 これはこれで、わかりやすい。
この考え方は、どちらかと言えば1つ目に近いでしょうか。
(2012/4/16追記)

「無理」と「無茶」の違い神戸国際大学 SOCCER CLUB 2011−4−23

「無理」とは、物事の筋道が立たず道理に合わないこと。
「無茶」とは、程度がはなはだしいこと。度をこしていること。常識はずれなこと。

「無理はするなよ!」=「人間としての道からはずれるなよ!」
「無茶しろよ!」=「限界を決めるなよ!限界なんかぶっつぶしてしまえ!」

「無理はするなよ!でも、無茶しろよ!」
これが、現在の我々の合言葉である。 
    

う〜ん、ステキですね! 応援したくなります。
字のごとく、素直に解釈してる点が素晴らしい。
この考え方は、どちらかと言えば2つ目に近いでしょうか。
(2012/4/16追記)

無理と無茶の違いってなんですか??教えてください。Yahoo!知恵袋 解決日時:2008/12/16 04:02:44.

無理=不可能。
無茶=限りなく不可能。(がんばりしだいでは、可能の可能性も、ごくわずかにあり。ただし、リスクが高い。)

この考え方は、どちらかと言えば2つ目に近いでしょうか。
(2012/4/16追記)

「無理」と「無茶」 「事実」と「真実」の違いについて教えて2ch 2012/01/22(日) 16:44:05.38

無理→できません
無茶→やめとけ


なるほど(笑)
言い手と受け手とが別人なのか。
(2012/4/16追記)

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いろいろブログを漁っていたら、
ボクが挙げた、1つ目と、2つ目の考え方の違いって、
「経験しているかどうか」で、大きく変わってくるなって…。

◇その事柄を、すでに経験してる場合 (具体的に…)

無理 → 自分が経験した範疇で、やってやれないことはない/できません
無茶 → 自分が経験した範囲外、無謀/やめとけ

1つ目の考え方に近づく? 「無理はするけど、無茶はしない」

◇その事柄を、まだ経験してない場合 (妄想で…)

無理 → 世間が決めた理(ルール)、人としての道理/だめよ
無茶 → 世間が決めた限界、自分は?/イッチョやったろか!

2つ目の考え方に近づく? 「無理するよりは、無茶をしたい」

辞書によると、
両者の違いは「知識や経験の有無」で生じるようです。
既にトライした経験があるなら「無理」と言い、
まだトライした経験すらないときに「無茶」と言う。

「どちらがより困難か?」と聞かれれば、
経験上、ある程度の筋道がわかってる「無理」よりは、
ゴールの方向性すらわかっていない「無茶」の方でしょう。
つまり、困難の度合いで見れば、「無理<無茶」。

「無理」と「無茶」との一番大きな違いは、
解決するまでの「筋道」が「見えてるか」どうか。
筋道が立たないのは、どちらも一緒。

もう少し掘り下げて考えてみると、
「無理」→筋道が途中までは見えているが、辿り着きそうにない、
「無茶」→筋道がまったく見えないし、辿り着くかもわからない、
なのかなって。

言葉って、受け止め方で180度、変わることがある。
だから、面白いんでしょうね。
(2012/4/16追記)

【無理】と【無茶】のちがい / 教えて!goo 投稿日時:2010/02/28 12:01

・「無理」を強めて言うと「無理矢理」
・「無茶」を強めて言うと「無茶苦茶」

わかったような、わからないような^^;
ま、これで納得してくれるなら、それでいいか。
今度、使ってみようっと♪
(2012/4/16追記)

「無理」と「無茶」の違いについて考えてみた。山崎拓巳 2012/01/03 8:41

一年、続けられる「過激な努力」は「無理」だが・・・
一年、続けられない「過激な努力」は「無茶」だ。

「無理」はしてよいが・・・
「無茶」はおすすめできない。

シーズンに入って、試合で強くなる選手はいるが
シーズン中の過度な練習で伸びる人はいるのか?

市民ランナーの川内優輝選手の活躍がスゴイが・・・
市民ランナーのため、練習時間が取れない。

彼は職場への道をスーツで走り、
2週間に一度、レースに出て(ありえない!!!)
試合を練習とし、スゴイ結果を出している。

これまた新しいスタイルの方だが・・・
なにやら参考になる。

元気になる言葉の恩師、尊敬する山崎拓巳さんのブログより。
継続することを視点に、興味深い考察でした。
この考え方は、どちらかと言えば1つ目に近いでしょうか。

市民ランナーの彼の練習方法は、世間的には常識外れ、
周りから見ると、一見無茶してるようにも見えますが、
彼の経験から導き出した彼なりの答え、
だから、彼にとっては無茶ではなく、無理の範疇なんでしょうね。
(2012/4/16追記)