「夢」と「欲望」との違いを知れば、世界が変わる。苦しい「悩み」ですら輝いてみえる。大切なのは熱意だ。

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「夢」と「欲望」との違いは何だろう?

ずっと明確な答えが見つからなかった。

本を読んでも、人に聞いても、ピンと来なかった。

ネットで調べたら、こんなのを見つけた。

「夢」と「欲」の違いを教えて下さい。夢はクリーンで、欲はダーティーなイメージが、あるけど実は同義語なんじゃないの?Yahoo!質問箱 2007/3/13 22:09:44 〜 2007/3/28 03:42:28

当たってる、時もあるでしょうね。
夢は、あり得ない事も含み、想像も。制限もない。
欲は、現実。自分の為、だけ。のもの。
ドラえもん、と、ホリえもん、位・・の差が・・あると思います

そうそう!
「欲望」は、汚くて醜いものだと勘違いしてた。
「夢」は想像もあるし制限がない、「欲」よりもでっかい?

わかったようで、わからない。

そもそも、「夢」と「欲」って、比べられるのだろうか?
あ、あと、「欲」と「欲望」との違いは?

 \(^-^\) (/^-^)/ソレハコッチニオイトイテ...

ごめん、わかんねーや。

夢と欲望は一緒だと思いますか? 違うとしたら、何が違うと思いますか?Yahoo!質問箱 2011/6/13 10:50:06 〜 2011/6/13 21:36:14

欲望には肉体的なものと精神的なものがあります。 … 欲望とは生命を維持するために肉体的・精神的に必要なものです。 … 欲望が即煩悩なのではなく、コントロールできない欲望でそれが苦しみの原因になるときに煩悩となります。

夢とは将来の理想像、実現したい将来像です。 将来こんな人間になりたい、将来こんな家を建てたい。将来こんな人と結婚して幸せな家庭を作りたい。

夢も欲望の一種ですね。

「欲望」は命に係わる大事なもの、欠かせないもの、らしい。
そして、「夢」も「欲望の一種」?らしい。
その中で、将来の理想像があるものを「夢」と呼ぶようだ。

わかったようで、わからない。

さらに、「煩悩」ってのが、よくわからなかった。
仏教用語だと思うのだが、堅苦しいというか、なんか苦手。
(字のごとく、脳を煩う、脳の働きが異常な状態?)

こんなのも見つけた。

人が生きるには、目的が必要です。
人が生きる目的には、二つあります。
欲望と夢です。

愛と夢の方程式

 (愛+知性)+理性=夢

愛・夢・欲望・理性には関係があります。

 愛+知性=欲望、 愛=欲望−知性
 夢−理性=欲望、 夢=欲望+理性

愛:子孫保存の本能
知性:探究心、創造力、考察力
理性:社会貢献を重視する感情
夢:より良い人類の未来を願う心

自殺防止は、欲望と夢の違いを知る事 / 夢主義社会 2010年02月21日

なんとなく、わかったようで、わからない。

雲をつかんでるみたい。

たぶん、「愛」(本能)ってのが、フワフワしてるんだ。

でも、興味がそそられる方程式だ。

 \(^-^\) (/^-^)/ソレハコッチニオイトイテ...

とりあえず、
「夢」も「欲望」も「人が生きる目的」になるらしい。

さきほど良くわからなかった「煩悩」を当てはめてみた。
「欲望」が制御できなくなって、かつ、苦しみを伴う…

理性[外]:社会奉仕的な感情
理性[内]:己を律しようとする感情
←追加

 煩脳=欲望−理性(内)+苦しみ、、、と仮定すると、

欲望=煩悩+理性(内)−苦しみ
欲望は、自己制御できる煩悩、かつ、苦しみを伴わない。

煩悩=(愛+知性)−理性[内]+苦しみ ※欲望=愛+知性
愛=煩悩+理性[内]−知性−苦しみ

愛は、自己制御できる煩悩で、知性がなく、苦しみも伴わない。
ここの「愛」は、動物的な本能らしいし、なんとなくわかる。

煩悩=(夢−理性[外])−理性[内]+苦しみ ※欲望=夢−理性[外]
夢=煩悩+理性[内]+理性[外]−苦しみ

夢は、自己制御できる煩悩で、苦しみを伴わない社会奉仕。
ここの「夢」は、世界平和っぽい夢だから、なんとなくわかる。

うーん、なんか、ごちゃごちゃしてきたw
ボクがよくやる「言葉遊び」とよく似ている。

さらに、こんな風にも書いてあった。

夢と欲望は違います※欲望=偽りの夢 / 夢主義社会 2011年10月17日

夢は人類の未来のため、欲望は自分のためです。

一般的に、「自分がやりたい事=夢」と考えられているようです。
でも、自分がやりたい事は、2種類に分けられます。
1.自分が人類の未来のためにやりたいこと:夢(社会貢献)
2.自分が自己のためにやりたいこと:欲望(自己中心的)

人類の夢は、「より良い社会を、未来に残すこと」であるはずです。
個人の夢も、根底は同じはずです。

なんとなく、わかるけど…、なんかキツイなあ。

行き過ぎた資本主義社会が変になってきた点には共感。
でも、「夢」と「欲望」との違いが、よくわからない。

個人の夢(欲望=偽りの夢)、だけど「根底は同じ」はず。

そうそう! 両者はどこかで繋がっていく
その繋がりは、自分で見つけなければならない。
じゃないと、薄っぺらで、いざという時、役に立たない。

松下幸之助さんの言葉が、心に響く。

「私は小さい頃貧しかったので、
 最初は腹一杯食べたい夢でした。
 丁稚奉公にいってからは、
 貯金して早く店を持ちたいと思いました。
 商売をはじめても、
 大きな会社など望みませんでした。
 一段上の夢を着実にこなしていっただけです。」

松下幸之助

「腹一杯食べたい」や「店を持ちたいと」って、「夢」なん?
「欲望」ではないん?

そして、悩む。
実際、松下幸之助さんも悩んでいたらしいし。
そして、お寺に修行してたこともあるらしいし。
そして、こんな言葉を残してくださった。

「迷う、ということは
 一種の欲望からきているように思う。
 ああもなりたい、
 こうもなりたい、
 こういうふうに出世したい、
 という欲望から迷いがでてくる。
 それを捨て去れば問題はなくなる。」

松下幸之助

もし、「腹一杯食べたい」が欲望だとしたら、迷うことになる。
でも、当時の松下幸之助さんは、迷っていただろうか?

おなじ「腹一杯食べたい」でも、
当時の松下幸之助さんにとっては「夢」だったろうし、
苦しいダイエット中の人にとっては「欲望」かもしれない。
そうではないかもしれない。

この両者の違いは、何だろう?

1つは「未来」との繋がり方の違い
Yahoo!質問箱の、はっきりとした「将来像」がヒント。
※将来は将に来る/未来は未だ来ない
苦しくなる場合を欲望といい、楽しくなる場合を夢と呼ぶ?
自分の心の奥に眠っている声に素直になれば、
きっとわかる。

そして、もう1つは…
戦後の日本(昭和)には見えていたけど、
バブル期の終わり頃から見えなくなってしまったもの…。
ちょうど、それは、平成のはじまり頃…。

松下幸之助さんの最初の夢は、個人的な夢だった。
醜いだろうか?
ボクは大好きだ。
それは命と繋がっているからだ。

最初は、どんな「夢」だっていい。
「夢」の大きさなんか関係ない!
…とは言っても、 つい周りと比べてさ、
優越感に浸ったり、凹んだりもするけれど、それでいい。
自分にウソがなければ、それでいい。
自分に素直でありさえすれば、それでいい。
必ず、いつか、社会と繋がっていくから、大丈夫。
経営の神様、松下幸之助さんが、そうだったように…。

成長してけば、自分の器は広がっていく。
この器を広げてくれるのが「夢」であり「欲望」なのだろう。

成長していけば、自分→社会、に近づいていく。
自ずとそうなっていくからさ。
そして、苦しかった「悩み」ですら輝いてみえてくる。
不思議な感覚だ。
そして、感謝に至る。
感謝とは言葉ではない。 心からの笑顔であり、命だ。

「買い物の楽しみとは何か?迷うこと」〜「迷い」と「悩み」との違いとは

自分の器を広げていけば、宇宙とだって繋がるんだ。
でも、たまにでいいからさ、お手入れも、忘れずに。
じゃないと、簡単に壊れちゃうから。
そのくらい人が作った器は、脆い。

それと、調子にのって、
磨けなくなるくらい一気に広げようと見栄を張る
苦しくなる。
でも、それもまた経験。
やらないよりも、ぜんぜんいい。
調子にのることも、大切な時だってある。
大切なのは、器を焼きあげる「薪」であり「熱意」だ。

才能より、まず熱意。 熱意を呼び起こす方法

「熱意」さえあれば、才能なんて後から付いてくる。
なければ、仲間を探せばいい。
モンキー・D・ルフィーのように。

今、夢はあるかい? ないなら一緒に探そうぜ!

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物で溢れ、豊かになってきた日本。
戦後の苦しい中、生き抜いてくださった方々のおかげだ。
ありがたい。 しみじみ思う。

一方で、
今の若者は夢を持たなくなってしまった、とも言う人もいる。
なぜだろう?
(実際、夢を持ってる若者はたくさんいる。 見えてないだけ?)

そして、
年間の自殺者3万人以上と言われている日本。
去年の2011年3月11日に起きてしまった東日本大震災
死者・行方不明者は、わかっているだけで合計20,629人。
その1.5倍以上もの人達が苦しみ、そして命を落としてる。

11年度は、14年ぶりに女性の割合が3割を超えた。
19歳以下が前年を13%上回り、若年層の増加も目立つ。

これから必要になってくる人たちが、
なんで命を落とさなければならないんだ?

やっぱり、何かが変なのだろう。

平成になったあたりから、日本は変になってきた。
ちょうど、物品税が廃止され、消費税が導入されてからだ。
(バブルがはじけたのは、あくまでも結果にすぎない)
以降も欧米に習えとばかりに、格差を広げるような政策が続く。
果たして、それは、われわれ日本人に合っていたのだろうか?
甚だ疑問が残る。

「経営の神様」松下幸之助さんと
「流通の革命家」中内功さんとのバトルを思い出す。

ダイエーVS松下電器(現Panasonic)

時代はダイエーを選んだ。 今のデフレ社会の象徴。

進みだした昭和の列車。
平成というペンキで美しく輝いた列車。
危険だと思いながらも、誰も止めることができないでいる。
原発も、然り。
いつの間にか、ブレーキが壊れてしまったのだろうか?
もしかしたら、あの大震災が…。
年間3万人の自殺者と、大震災と、暴走した政治と…。
あまりにも、哀しいイメージが浮かんでしまった。

平成生まれの甥っ子たちに、あの頃の風を味あわせてあげたい。

でも、まだ暴走中…

 Σ(- -ノ)ノ エェ!?

今、まさに、時代は変わろうとしている。
新しい時代の風を感じている人は、どのくらいいるだろうか?

いや、変えてやんよ。
この手でさ。目指す方向は見えた。でも、手段が見えない。助けて。

ごめん隊<(_ _)><(_ _)><(_ _)>参上

そして、あなたの貴重な時間を、ありがとう。

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自殺:14年連続3万人超 5月急増、震災関連55人−−昨年1000人減毎日新聞 2012年3月9日 東京夕刊

 内閣府警察庁は9日、11年の自殺統計(確定値)を公表した。自殺者数は3万651人で前年より1039人減少したものの、98年から14年連続で3万人を超えた。統計を分析した内閣府は5月に自殺者数が急増したことを特徴に挙げ、「東日本大震災を背景とする経済的なリスクの広がりが原因」との見方を示した。避難所や仮設住宅で発見されたことなどから、震災に関連する自殺と判断されたのは55人だった。【鮎川耕史】

 5月の自殺者数は3375人で、4月を24%上回り、年間を通じて最も多かった。内閣府によると、ピークは3〜4月や秋にくるのが例年の傾向という。5月の状況を4月と比較すると、年齢別では30代が44%増、職業別では「被雇用者・勤め人」が40%増加した。動機・原因別では男性の「経済・生活問題」が27%増と目立った。

 内閣府は、こうした統計に加え(1)自治体へのヒアリングで震災による経済の悪化を指摘する声が寄せられた(2)5月に倒産件数の増加を示すデータがある−−ことなどを理由に、震災が経済に悪影響を与えたことが5月の自殺急増に関係したとみている。

 一方、5月は20〜40代の女性の自殺者が4月より45%も多く、特に5月12日から急増していた。8月まで内閣府参与として政府の自殺対策に関わった清水康之ライフリンク代表は、24歳の女性タレントが同日に亡くなったと報じられたことに着目し、「過剰な自殺報道の影響が大きかった」と指摘している。

 11年の自殺者のうち男性は2万955人、女性は9696人で女性が32%を占め、14年ぶりに女性の割合が3割を超えた。年代別では19歳以下が622人と前年を13%上回り、若年層の増加も目立った。

 ◇被災地の長期支援必要
 9日公表された11年の自殺統計で、「震災関連自殺」は被災3県などで55人に上った。6月から統計をとり始めたが、5月以前の全自殺者については「震災との関連を調べ直すのは不可能」として不明のままだ。6月は最多の16人で、その後は減少。岩手、宮城、福島の被災3県の自殺者総数も計1409人と前年を15%下回った。だが新潟県中越地震(04年10月)では、被災地の自殺者は震災直後に一時的に減ったものの、2年後から増加に転じた。専門家は「東日本大震災でも同じ推移をたどる危険性がある」と、長期的な支援が必要と指摘している。

 中越地震後の自殺概況をまとめた新潟県の「こころのケアセンター」によると、同県内の自殺者は▽03年833人▽04年766人▽05年718人▽06年738人▽07年767人と推移。自殺者は04年の震災直後には減少したが、06年から増加。背景には、仮設住宅に入居しても2年をめどに退去しなければならない法的制限など、生活基盤が十分に再建できないまま行政支援が打ち切られる事情があると推測されている。

 95年から16年連続で自殺率が最も高い秋田県で、自殺対策に取り組むNPO法人「蜘蛛(くも)の糸」の佐藤久男理事長(68)は、昨年4月から毎月、岩手県沿岸の釜石市大槌町などで相談会を開いている。

 「命は取り留めたが、気持ちは墓の中にいるようだ」。佐藤さんは、相談者の言葉の端々に深い悩みを読み取る。切実な声を聞き、潜在的な自殺願望を払拭(ふっしょく)するには長い時間がかかると感じているという。

 被災者の電話相談など支援活動を続ける全国自死遺族総合支援センターの杉本脩子代表は「中越地震などの事例を見ても、震災のショックが癒え現実に向き合い始めた時に自殺のリスクが高まるのは明らか。長期的な支援が必要だ」と話している。【鈴木梢】

松下幸之助と中内功の信念日本総研 「研究員のココロ」 竹内祐二 2006年07月24日

 つい先日、門真市にある「松下電器歴史館」を見学する機会を得た。この歴史館は、言うまでもなく松下幸之助氏の一生を展示したものである。筆者は、前職でダイエーの中内氏の薫陶を受けたので、松下電器ダイエーとの対立は耳にした記憶がある。だが、松下歴史館を見学して、改めて考えたこともあったので、両社の対立について個人的な見解を綴ってみたい(以下、敬称略)。

ダイエーと松下の“30年戦争”

 両社の対立、いわゆる“30年戦争”が勃発したのは、1964年の東京オリンピックの年であった。ダイエーが、松下製品を値引き許容範囲の15%を超えた20%引きで販売を行った。これに対して、松下電器は、ダイエーへの出荷停止措置をとり、今度はダイエーが同社を独占禁止法違反の疑いで告訴・・・、というように両社の争いは泥沼化した。幸之助は、1975年に中内を京都の真々庵に招いて、「もう覇道はやめて、王道を歩むことを考えたらどうか」と諭したが、中内はこれに応じなかった。両社が正式に和解したのは、30年後の1994年である。1964年当時の松下幸之助と中内の戦略及び彼らの信念を考えると、この30年戦争の本質が見えてくる。

◇「共存共栄」を哲学にする松下電器

 松下電器にとって、1964年は大きな節目の年であった。同年の金融引き締めによって、急速に景気が後退し、松下電器の販売会社・販売代理店の中にも赤字経営に陥るところが急増した。幸之助は、こうした事態に危機感を抱き、全国の販売会社・販売代理店の社長を熱海に集めて、打開策を協議した。
 幸之助は、この熱海会談で販売会社・販売代理店に慢心があったことを指摘するだけでなく、松下電器の非を認め、謝罪をして改善を約束した。そして、出席者に「共存共栄」の色紙を贈り、代理店組織の一層の結束を図った。幸之助は、定価販売でメーカー、小売りが適正利潤をあげることが社会の繁栄につながると考えており、大口取引先のダイエーを優遇することは、共存共栄の精神にも悖るという強い信念があったのであろう。

◇「流通革命」を目指すダイエー

 一方、ダイエーは、1964年に「レインボー作戦」と称して首都圏進出を果たし、全国への多店舗展開を開始しようとしていた。中内は、旧来の多段階型流通構造を壊し、圧倒的な販売力をもって「価格決定権をメーカーから消費者に取り返す」という信念のもと、メーカーとの徹底抗戦の姿勢を貫いていた。「いくらで売ろうとダイエーの勝手で、メーカーには文句を言わせない」が中内の口癖だった。そして、メーカーの協力が得られない場合には、自らが“工場を持たないメーカー”となって、プライベートブランド(PB)商品の開発を行った。ダイエーが1970年に開発した13型カラーテレビ「BUBU」は、破格の59,800円という価格が評判となったが、松下電器との関係をさらに悪化させた。

 高度成長期を迎えて、国内の流通構造が大きく変化しようとしている中で起きたダイエーと松下の“30年戦争”は、定価販売・代理店販売を堅持しようとする幸之助の信念と、消費者主権を実現しようとする中内の信念のぶつかり合いだったと言えよう。

松下幸之助の信念

 松下幸之助は、1918年に松下電気器具製作所を創立し、1929年に松下電器製作所と改称したのを機に「綱領・信条」を設定した。その後幸之助は、「事業経営は、人間生活に必要な物資を生産提供する聖なる仕事」であって、「産業人の使命は、水道の水のごとく物資を豊富にかつ廉価に生産提供することで、この世から貧乏を克服すること」であり、「松下電器の真の使命もまたそこにある」 と考えるようになった。この理念は、「水道哲学」として広く知られているが、幸之助は、この考えを全社員に訴えようと1932年5月5日に第1回創業記念式を開き、この年を「命知元年」とした。そして、真の使命を達成するために、建設時代10年、活動時代10年、社会への貢献時代5年の合わせて25年を一節とし、これを10回繰り返すという壮大な250年計画を発表した。

◇中内の信念

 中内 の信念は、強烈な戦争体験から生まれている。通信兵として出征した中内は、フィリピン・リンガエン湾の戦闘で敵の手榴弾を受けた。死を覚悟したとき、なぜか神戸の実家で家族そろって裸電球の下ですき焼きを食べている風景が頭の中に浮かんだと言う。「ああ、もう一回、腹いっぱいすき焼きを食べたい・・・」。この思いが中内の原点となっている。
 九死に一生を得て復員した中内は、1957年に「For the Customers−良い品をどんどん安く−」をスローガンに掲げて、主婦の店ダイエー(前身は大栄薬品工業)を設立した。中内が執筆した『わが安売り哲学』には、「ダイエーの存在価値は、既存の価格を破壊することにある」と記されている。
 価格破壊の象徴が牛肉である。中内は、当時高嶺の花であった牛肉を主婦が気軽に買える値段にしようと考え、普通の店なら100g 100円、安い店でも70円のところを39円で販売した。この狙いは的中し、三宮店の牛肉売り場にはお客が殺到し、連日大変な人気を呼んだ。やがて牛肉の供給が間に合わなくなると、生きた牛を買い取って枝肉に加工して販売したが、それでも牛肉不足は解消できなかった。そこで中内は、返還前の沖縄からの輸入には関税がかからないことに目をつけて、安価なオーストラリア産の子牛を沖縄に運び、6ヶ月間飼育した後、国内に輸入する方法を考えついた。
 ダイエー流通革命の歴史は、既成秩序との対決の連続であり、権力を嫌う中内の反骨精神の現れであった。

◇信念から理念への昇華

 松下幸之助と中内は、ともに事業の使命を「消費者の豊かな生活を実現すること」と考え、その通りに経営を実践してきた。二人に共通しているのは、事業の使命感が個人の信念と完全に同一化しており、言動にずっしりとした重みと現実感を感じることである。
 ところで、創業者が経営の第一線を退くときが、いつかはやってくる。このとき、創業者の信念をいかに後世に引き継ぐか、が課題となる。中には、創業者への反発もあってか、「あんな古臭いもの・・・」「いまの時代に合わない・・・」と切り捨てようとする企業もある。しかし、創業期の歴史の否定は、アイデンティティの放棄につながるのではないだろうか。
 松下電器ダイエーでは、今なお脈々と創業者の信念が受け継がれている。松下電器では、毎朝「綱領・信条」が唱和され、毎年5月5日の創業記念式典では「真の使命」についての話し合いが行われるという。ダイエーにおいても、毎日の朝礼と公式な会議では「ダイエーグループの誓い」が唱和される。このように、両社では、創業者の信念は企業理念へと昇華し、しっかりと定着している。

◇理念のある経営

 バブル華やかなりし時代に、コーポレート・アイデンティティ(CI)活動の一環として、企業理念策定がブームになったことがある。そこで生まれた企業理念には立派なものが多いが、魂に訴えるものが少ないように感じる。それは、企業理念の実践者の顔が見えないからではないだろうか。
 理念は、理想や願望ではなく、実践されなくてはならない。人間が正しいと信じる気持ち、すなわち信念のないところに理念はない。松下幸之助と中内は、自らの信念の実践者であり、伝道者であったからこそ、社員の求心力となれたのである。
 「わが社は何のために存在するのか」という基本的な考えをしっかりと持ち、その理念を社員が理解し、実践できる企業は、いつの時代でも困難を乗り切る力があると確信する。

久しぶりに、「松下電器歴史館」でも行ってみるかな。

今は「パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館」らしい。

名は体を表す。 これも今の日本を象徴してるのかもね。

実名の入ったままの「トヨタ」は強い。

トヨタ、訓練校に「東北枠」 工業高15人受け入れへ朝日新聞デジタル 2012年3月7日

 トヨタ自動車は今春、企業内訓練校のトヨタ工業学園(愛知県豊田市)に「東北枠」を初めてつくり、東北地方の工業高校の卒業生15人を受け入れる。中部、九州に次ぐ国内第3の生産拠点と位置づける東北には来春、訓練校を設立するが、復興支援も担う人材育成は急務と判断。1年前倒しで始める。

 今回、「東北枠」を新設するのは、高卒者が1年間学ぶ専門部。東北6県の工業高校を卒業した15人が4月から、トヨタの本拠地である愛知県で1年間、ものづくりの基礎を学ぶ。この15人は来春からトヨタの東北拠点で働くことになる。

 トヨタは今年7月に三つの子会社を「トヨタ自動車東日本」に統合、宮城県大衡村に本社を置く。来春には同村に国内2番目となる企業内訓練校をつくり、東北の工業高校の卒業生を30人ほど受け入れる計画だ。今回の愛知県での「東北枠」の新設は、それまでのつなぎの役割を果たす。

 「トヨタ工業学園」は1938年に開校。現在は専門部のほか、中卒者が対象の3年制の高等部もあり、計400人程度が在籍。これまでに約1万7千人が卒業し、うち約8千人が現在、国内外のトヨタの拠点で働いている。(山本精作) .

これぞ、「生きた金」の使い方だろう。