「熱意」はどうしたら生まれるのか?持ち続けられるのか?

松下幸之助さんの言葉は心に響く。

彼が書いただろう文章は、特に。

シンプルで、わかりやすく、心にズシリと響いてくる。

なぜだろう?

彼は「熱意」を常に大切にしていたことを、最近、知った。

では、その「熱意」は、どのように生まれてくるのか?

未だに、わからない。

熱意が生まれた!と思っても、三日坊主で挫折。

すぐ萎えてしまう。

これは!と思う、実感が伴っていない。

そして、「熱意」は、どうすれば持続できるのだろうか?

なかなか、その答えが得られない。

--- 熱意こそ すべてのはじまり ---

1つは、「願望を持つこと」。 願望が、熱意を呼び覚ます。

もう1つは、「体を動かすこと」。 止まるとエンジンは冷える。

そして最後は、「悩み」であった。 熱意を燃やす薪になる。

でも、肝心の”何か”が欠けているような気がしてならない。

豊かさの対極に位置する”何か”だろうか。

彼もそうだったように…。 でも、それは「悩み」ではないか。

そうではない、”何か”だ。

なんだろう?

---

成功の法則
松下幸之助はなぜ成功したのか

PHP総合研究所代表取締役社長 江口 克彦

1.序 成功への道は一つ 六つの法則
2.風の音で悟る 願望と問題意識
3.熱意からすべては始まる 世間は誰ひとり邪魔しない
4.人に尋ねると得をする 全世界は自分のもの?
5.日々当たり前のことを 自分の力以上、失敗?

このウェブマガジンは、1996年11月に発売した書籍「成功の法則」から抜粋したものが書かれている。 2000年12月に文庫本が、2007年4月に新装版が出版されている。 Amazonからは、どれもが新品では入手しずらい。 お手軽に入手できるのは、2010年3月に出版された、同じタイトル&著者で発売されているコレだろうか。

松下幸之助 成功の法則

江口 克彦
WAVE出版
売り上げランキング: 40376

---

成功の法則
松下幸之助はなぜ成功したのか
PHP総合研究所代表取締役社長 江口 克彦
経営の神様と呼ばれ、いまなお尊敬する人物として挙げられることの多い松下幸之助。晩年の二十二年間を側近く仕えた著者が、その成功への道を六つの法則に体系化したベストセラー『成功の法則』より5編を掲載。

1.序 成功への道は一つ ――まえがきにかえて

 どうすれば成功できるのか。

 本書は、その問いに答えようとしたものである。

 松下幸之助晩年の二十二年間、私はその下で仕事をやってきた。普通、勤務時間は一日八時間ということになっている。しかし、私の場合は二十四時間であったといってもいい。ほとんど土曜、日曜もなかった。朝早く四時ごろに電話がかかってくる。朝、六時ごろに呼び出される。いま、すぐこいと言う。午前に、午後に、そして夜中に電話がかかってきた。私は毎日のように出かけていった。夜はしばしば、松下と夕食をともにしながら、十時、十一時まで過ごした。

 日本にも成功物語は多いが、松下幸之助といえばその屈指のひとりである。本書はその成功の理由を、読者が追体験し活用できるように体系化してみた。言ってみれば、巨峰の一合目から頂上への道のりを、ステップ・アップ方式で描くことを試みたものである。

 松下幸之助はよく私に次のように話してくれた。

 「きみなあ、成功の道というものは、いろいろの行き方があるけどね。でも結局のところ、おおむね同じじゃないかと思う。それは百人が百人とも持ち味があるからね、多少の違いというものはあるけれども、成功の道すじ、軌道というものは、だいたいにおいて決まっている。いわば共通性があるということや。だからその軌道から離れたら、みな失敗の道になっていく。つまるところ甲の人の成功、乙の人の成功に、個性によって多少違いはあるけれども、成功への道は一つであるという感じがするな」

 この見方が正しいものであると、私は確信を持って言うことができる。そして松下の成功理由を体系化することは、普遍的な成功の法則を明らかにすることになると思う。

 その理由の第一は、松下自身が成功者であること、第二に、松下は多数の先哲諸聖の研究をしており、自身の体験をさまざまな角度からも検証していること。

 そして第三に、時代の変化を迎えてますます松下の考え方が正しいと、私には実感されるからである。というのは、最近の経営における成功者といえば、情報通信、コンピュータが代表的である。彼ら成功者のコメントを見ていると実に楽しい。松下とよく似たことを言う。だから、これから先の時代における普遍性の検証も、すでに行なったと言って許されるであろう(もっとも松下の晩年を知っている私にとっては、彼らにいささか若気の至りを感ずることも多いのだが。しかし、それは時間が解決していく問題だろう)。

 さて、本書をまとめることを決意したのは、昨今の時代背景において、やはりその必要があるという思いからだった。

 今、時代は大きな変化を迎えている。読者はそのことを、実際の生活の場で痛感しておられることだろう。私はその変化を「タテ型社会が終わり、ヨコ型社会が到来した」と表現している。たとえば今の若い人たちは、もう上下関係でものを見ようなどとは考えていない。社長が偉いとか、政治家や官僚が偉いなどとは思っていない。コンピュータ、とくにインターネットの急速な発展という背景もあり、むしろ若い自分たちのほうが、豊かな情報を持ち、すぐれた行動をとることができると思っている。私もある面はそのとおりだと思う。あらゆるところで、逆転現象が起きつつある。

 時代が大きく変化した理由の第一は、やはり冷戦構造の終焉である。

 と同時に日本では、たいへんな豊かさが実現した。それがヨコ型社会の到来を強力に加速させた。たとえば「おまえ、働きが悪いからクビだ」と言ったとしよう。貧しい社会では切実な問題だが、今はもう働き口がたくさんある。飢える心配もない。「ああ、そうですか」と明日から来なくなる。“そんなつもりで言ったんじゃないのに、あいつ辞めちまって”と思っても後の祭りである。

 自由。今の日本は、信じられないほどの自由が実現しつつある社会である。

 しかし一方、過剰な自由の危険が目につくようになりはじめた。ちょっとこれは……、と思うような光景。豊かさはいいが、それに伴い規範の喪失も目につきはじめた。インターネットでどんどん情報を入手する若者に、中高年のビジネスマンが、経営者が、自信を持って成功のためのアドバイスをすることが、できなくなりつつあるのではないか。同時に若者は、年長者や伝統による教えを失い、確固たる指針のないまま宙に浮いたような精神状態になっていないか。宗教に興味を持つ人が多いというが、それは一つの現れであろう。

 「自由」というものに、どこで線引きをするか。これからの日本にとってそれは、重大な問題である。だがヨコ型社会では、もはやかつてのように、支配、強制、管理による線引きはできない。どうすればいいのか。

 基準を、明確にすることである。そうすれば、やっていいことと悪いことの線引きがおのずからはっきりする。

 こうやったほうが成功しやすいですよ、幸福に近づきますよ。そんなやり方では失敗しますよ、幸せになりにくいですよ。平易に言えば、本書はそのときの基準を明確にしたい。

 本書をまとめるにあたっては、できるだけ全体のページ数を抑えようと心がけた。盛り沢山にすることは簡単だが、それでは記憶に残らず、実用には適さないと思ったからである。それでもけっこうな分量になってしまった。

 全体は六つの法則に分けた。

 読者の年齢や立場に応じて、同じ内容でも印象が異なることになると思う。法則1から3までは、まだ成功の入口に在る者のために書かれている。そのため、すでにそれなりの立場に在る方には今さらの感があるかもしれない。一方、法則4と5は成功の途上に在る人のためのものであり、最後の法則6は特に最高責任者といった立場の方のためのものである。それゆえ、若い人たちにはやや遠い話のように感じられるかもしれない。

 しかし成功のためには、成長し脱皮していくことが不可欠である。年齢、あるいは立場によって、それぞれ求められるものが異なってくる。本書もそのような流れの中で構成されている。

 そして正直に申し上げるならば、本書をまとめながら、最後まで一つのためらいもあった。松下幸之助の考え方の根本にはつねに調和がある。その調和はさながら球体である。

 球体の一箇所に光を当てることは、相対的に他の部分をカットすることになる。成功の法則を読者に分かりやすく提供するためとはいえ、体系化するということは、成功の要素を個々に抽出し、整理することであり、本来はそれぞれが複雑に絡み合い、組み合わせられ、調和されなければならないという点を見失うリスクが伴う。全体の構成で補うようにしたが、法則1から6へという流れとともに、各項目はそれぞれ密接に結びつきあいながら、全体としても一つの法則をなしているのだという読み方をしていただけるならば、まことに幸いである。

 本書を契機として、数多い松下自身の著作に触れていただけるならば、更に幸いである。

2.風の音で悟る

 ある寒い冬の日、私は松下といつものように真々庵の茶室でお茶を飲んでいた。木枯らしが吹き、杉木立ちのひゅうひゅうと鳴る音が聞こえていた。すると突然松下が、

 「きみ、風の音を聞いても悟る人がおるわなあ」

 と言った。私はそのとき、松下が何のことを言っているのか、意味がわからず、ただ「はあ、そうですか」と返事をしただけであった。

 後になってよく考えてみると、松下は私にもっと勉強してほしいと思っていたのではないだろうか。問題意識があれば、風の音を聞いても悟る人がいる、ということである。

 聞く耳を持っていたら、聞こうという気持ちを持っていたら、何でもない風の音を聞いてもハッと悟ることができるのに、きみと話をしていても、なんとはなしに頼りない。もう少し問題意識を持って話を聞け、と松下は言いたかったのではないかと気づいたのは、しばらくたってからのことだった。おそらくこのように言いたかったのだろう。

 「話をするよりも、話を聞くほうが難しいな。いくらいい話をしても、聞く心がなければ何も得ることはできんが、聞く心があれば、たとえつまらん話を聞いても、いや、たとえあの杉木立ちを鳴らす風の音を聞いても、悟ることができる人は、悟ることができる。そんなもんやで」

 たとえばニュートンである。リンゴの実が枝から落ちるのを見て万有引力を発見した。リンゴが落ちる光景は、それまで何万人、何千万人もの人が見ているはずである。それにもかかわらず、ニュートンだけが宇宙の真理のひとつを発見した。耳を傾ける心があったからである。

 松下が中小企業の経営者の方々を対象に「ダム経営」について話したことがある。ダム経営というのは、川にダムをつくり水を貯めるように、企業も余裕のある経営をしようという松下の持論であった。

 話が終わって、四百人ほどいた経営者の中の一人が手をあげ質問をした。「おっしゃるとおりなのですが、なかなかそれができないのです。どうすればダムがつくれるのでしょうか」

 これに対して松下は「やはりまず大切なのは、ダム経営をやろうと思うことですな」と答えた。会場からは“なんだ、そんなことか”という失笑が起こった。

 しかし、その中に一人、衝撃を受けた人物がいた。それは京セラを創業して間もないころの稲盛和夫氏で、まだ経営の進め方に悩んでいた頃であった。のちに、このように語っている。

 「そのとき、私はほんとうにガツンと感じたのです。何か簡単な方法を教えてくれというような生半可な考えでは、経営はできない。実現できるかできないかではなく、まず『そうでありたい、自分は経営をこうしよう』という強い願望を持つことが大切なのだ、そのことを松下さんが言っておられるんだ。と、そう感じたとき、非常に感動したんです」

 四百人の経営者が同じ話を聞いている。しかし、そのように受け取った人は一人しかいなかったと言っていい。稲盛氏には、そのように受け止めるだけの力量があったということである。のちの京セラの発展は改めて説明する必要もないと思う。

 「なあ、きみ、人間の心は広がればなんぼでも広がっていく。縮まればなんぼでも縮まって、しまいには自殺までしてしまうんや。それほどの間を大きく動くわけやね。だからどんどん知恵が出ておるときには、非常にいい知恵が出る。しかし知恵が閉ざされてくると、どんな知恵も出ない。それで失敗してしまう」

 そのような特質を、人間の心は持っている。心が変われば行動が変わり、成果が変わる。さていま、私たちの心は、風の音を聞いても悟ることができるほど、問題意識を持っているだろうか。活き活きと動いているだろうか。

3.熱意からすべては始まる
  二階に上がるハシゴは、熱意のある人だけが考えつく

 松下は、成功の条件の第一に「熱意」をあげることが多かった。熱意などという平凡な条件こそが、成功するための第一歩であり、同時に一番大切なものであると考えていたのである。よく次のように言っていた。

 「仕事をする、経営をするときに、なにが一番大事かと言えば、その仕事をすすめる人、その経営者の、熱意やね。溢れるような情熱、熱意。そういうものをまずその人が持っておるかどうかということや。熱意があれば知恵が生まれてくる」

 松下幸之助が成功した理由は、決して一つに帰することができるものではない。だが、もしあえて一つだけ挙げよと言われたら、私は熱意であると断言できる。いかに才能があっても、知識があっても、熱意の乏しい人は画ける餅に等しい。強い熱意があればこそ、何をなすべきかが思いつく。

 正しい熱意あるところ必ず、成功の道が開けてくる。

 「たとえば、販売のやり方がわからん、けど、なんとしても商売を成功させたい、そういう懸命の思い、熱意というものがあれば、そこになんとかしようという工夫が生まれ、成功の道が発見されるようになるんやな。

 新しい商品をつくりたい、と、ほんまにそう考えるのであれば、人に素直に教えを乞う、指導を仰ぐ、謙虚に耳を傾けるということもできるわな。一番うまくいく方法も考えだされてくる」

 保険の勧誘をする人の中で、いちばん多く契約を取る人といちばん少ない人とでは、その契約高に百倍からの開きがあるという。同じ会社で同じ商品を扱いながらこれだけの差が生まれるのは、やはり仕事に対する心がまえに根本的な原因があるのではないか。

 熱心に仕事に取り組んでいる人は、常に「こうしたらどうだろうか」とか「この次はこんな方法でお客さまに話してみよう」というように、工夫をこらし、いろいろ効果的な方法を考える。また、同じことを説明するのにも、自然と熱がこもり、気迫があふれる。

 「わしは学問もあまりないし、そのうえ体も弱かった。そういう点では、たいていの部下より劣っている。そのようなわしが、ともかくも大勢の人の上に立ち、経営にそれなりの成功をおさめることができたのは、一にかかって熱意にあったと思う。

 この会社を経営していこうという点については、自分が誰よりも熱意を持たなくてはいけない、それが自分として一番大事なことだ、と、いつも心がけてきた」

 もし、少々知識が乏しく、才能に乏しい点があっても、強い熱意があればその姿を見て多くの人が協力してくれるようになる。「あの人は熱心にやっているのだから、同じことであればあの人から買ってあげよう」「あの人が気がついていないようだから、これをひとつ教えてあげよう」と、目に見えない加勢が自然に生まれてくる。熱心さは周囲の人を引きつけ、周囲の情勢を大きく動かしていく。

 たとえば、なんとしてでもこの二階に上がりたいという熱意があれば、ハシゴというものを考えつく。ところが、ただなんとなく上がってみたいなあと思うぐらいでは、ハシゴを考えだすところまでいかない。

 「どうしても、なんとしてでも上がりたい。自分の唯一の目的は二階に上がることだ」というくらいの熱意のある人が、ハシゴを考えつくのである。

 いくら才能があっても、それほど二階に上がりたいと思っていなければ、ハシゴを考えだすところまではいかない。ぜひともやってみたいという熱意があればこそ、その人の才能や知識が十分に生きてくる。何をなすべきかが次つぎと考えつかれてくる。最近の研究によれば、脳はほんの一〇%も使われていないのだという。だとすれば、その限りない潜在能力を引きだすのもまた、熱意である。

 だから、もし望んでいることがうまくいかないのならば、翻ってほんとうの熱意を、自分が持っているのか考えてみる必要がある。

 はたして自分の熱意が本物であるかどうか。成功と失敗の分岐点はそこに尽きるのだとさえ言っていいと思う。仕事を成功させたい、発展させたいという燃えるような情熱があれば、おのずと成功の知恵が見つかるものである。困難に直面したとき、私は次のような松下の言葉を思いだす。

 「世間は誰ひとりとしてきみの成功を邪魔したりせんよ。やれないというのは、外部の事情というよりも、自分自身に原因があるものなんや。外部のせいではない、理由は自分にあるんだということを、常に心しておく必要があるな」

 松下は能力をあまり重視していなかった、と言っていいかもしれない。それほどに、人材を起用するときは能力よりもむしろ、その人に熱意があるかどうか、体にみなぎるほどの正しい熱意があるかどうかを、判断の基準にしていた。能力というのは、誰でもそう差があるものではない、という考え方であった。

 「人を起用するときに、能力はだいたい六十点ぐらいもあれば十分やね。あとはその人の情熱でいくらでも伸びる。しかし、能力はあるけれども熱意が不十分だということになれば、そういう人をいくら起用してもだめやったな。

 熱意があれば必ず事業は成功する。けど、尋常一様な熱意ではあかんで。きっとこの事業を発展させようという、からだごとの、正しい熱意でないとな」

4.人に尋ねると得をする
  ひとりの知恵には限度がある。衆知を集めなければ成功はありえない

 松下幸之助は、よく人にものを尋ねていた。

 人の話を聞くと、ごく自然にたくさんの知恵を集めることができる。とくに今日のようにたくさんの情報を集めながら仕事をしなければならない時代には、多くの人から話を聞くということは、きわめて大切なことである。

 松下のそばで仕事をするようになって、二、三年したときの夏であった。部屋で松下と話をしていると、クーラー事業部から二十五歳ぐらいの若い技術者が、クーラーの点検にやってきた。彼はまさか部屋に総帥の松下幸之助がいるとは思わなかったのだろう。部屋に入ってきたとたん、硬直状態である。もうネジを回すのだって、手元が震えてドライバーがなかなか入らないくらいである。

 すると松下が「この頃、きみんとこの工場では、どんなものが造られておるのかな」と質問を始めた。「名前はなんというんや」「郷里はどこや」。松下は誰に対しても、気さくにものを尋ねることができる人であった。「事業部には何人くらいおるのか」「仕事はしやすいか」「きみ、たいへんやろ。疲れへんか」。

 しかし松下は、若い社員だからといって適当に聞き流していたわけではなかった。というのも、それから一カ月ぐらいしたとき、面白いことがあった。

 たまたまクーラー事業部の事業部長がやってきて、三十分くらい報告をした。すると突然に、「きみ、ご苦労さんやったな。ところで……」と始まったのである。

 「きみのところの工場、ラインのほうはどうかな」

 「工場の環境を少し変えてもいいかもしれんな」

 「こういうことに注意したらええな」

 事業部長は、自分が報告してもいないことの話がなぜ的確に出てくるのかと、だんだん青ざめてしまった。私が門まで見送ると、しきりにクビをかしげている。

 「やっぱりうちの大将は、神様だねぇ。私が報告していないのに、お見通しなんだよ」

 神様になるのは意外と簡単だなと愉快になった思い出がある。

 さて、松下のそばで見ていると、私はあるひとつの法則に気がついた。尋ねられた人は松下に好意を持つのである。

 威張って知識を見せつけるよりも、心を開いて尋ねるほうが、実はずっと敬意を表される。しかも、自分が話を聞きたいのだという姿勢を見せれば、人はどんどん情報を持ってきてくれる。情報収集には、自ら足を運んで話を聞くということが大切だが、じっとしていても情報が集まってくるのなら、それに越したことはない。

 見ていると、松下はどんなときでも感心して話を聞いていた。

 「いい意見やなあ」

 「その話は面白いな」

 「きみの、その話はおおいに参考になるわ」

 と、ほめるのである。

 あるとき若者が『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』を読んでいたく感動し、感想文を書いてきた。ぜひこれを日本の政治に実行すべきだ、ついては松下さんに訴えたいことがあるというのである。

 面白そうな青年だと思った私は、一度会わせたことがある。私はよく内々で、見知らぬ人をいく人か松下に会わせたものだが、そのときの彼は熱意をこめて、このままでは日本は駄目になると喋りつづけた。青年の話の内容には、年長者の松下から見れば当然、若さゆえの先走りもあった。しかし松下は、

 「あんた、若いんだから頑張ってくれや」

 「あんたみたいな人がいるかぎり、日本は大丈夫やで」

 「若い人たちがみな、あんたみたいだったらええね」

 彼はたいへんに感激して帰っていった。

 あるいはタイミングを見て早く先に質問しないと、松下の質問責めにあう。自分はこういう仕事をしていると挨拶すると、すぐに松下は、

 「それはどういう仕事ですか」

 「どうやっておられるんですか」

 「儲かりますか」

 一方的に喋らされて、あっという間に一時間が過ぎているという光景もよくあった。しかし、それもまた不思議なことに、質問の中に経営への示唆があったとか、教えられたと満足して帰っていくのであった。

 やはり人間は、人に説明をしたり、お説教をするということが本質的に好きらしい。逆に、ものを尋ねたり、わからないと言ったりすることを、引け目として感じるものである。だから、わからないから教えて欲しいと言われれば嬉しいし、あれこれ知恵をしぼって答えるのはなんともいえない快感である。

 だとすれば、「わからないから教えて欲しい」と素直に尋ねるほうが、人情の機微をより心得ているというものであろう。それゆえお客さまは、ものを尋ねに来たのに、松下の思うままに喋らされて、しかも満足して帰っていくということになるのであろう。

 ものを尋ねるほうが慕われるというのは、知っておきたい真実である。人間の心の動きには、千変万化の複雑さの中にも、おおむね誰にも共通する、一般的な原則がある。誰でもほめられれば嬉しい。また、誰もが他人から認められたいと願っているし、自分の能力を発揮することには喜びを感じるものである。

 松下は、たくさんの人にものを尋ねることを「衆知を集める」という言葉で表現していた。

 「衆知を集めるということをしない人は、絶対にあかんね。小僧さんの言うことでも耳を傾ける社長もいるけど、小僧さんだからと耳を傾けない人もいる。けど、耳を傾けない社長はあかん。なんぼ会社が発展しておっても、きっとつぶれる会社やね。

 衆知を集めないというのは、言ってみれば、自分の財産は自分が持っている財産だけしかないと思っている人と同じやね。少しひらけた人なら良寛さんみたいなもので、全世界は自分のものだと思っている。しかし全部自分で持っているのはめんどうだから預けておこう、というようなもんやな。人間ひとりの知恵には限度があるんやから、その限度ある知恵だけでは、うまくいかんわけや」
 

5.日々当たり前のことを
  雨が降れば傘をさす、そうすれば濡れないですむ

 五年先、あるいは十年先のことを一応は考えてみるものの、しかし真の商売は、その日その日の積み重ねである。そういうふうに平凡に解釈していったらいいのではないか。そうすればだいたい間違いない――というのが松下の考え方であった。

 これは有名なエピソードであるが、やはり紹介しておかないわけにはいかない。

 ある新聞記者が「あなたは非常に成功したと思うが、その成功の秘訣はなにか、ひとつ話してくれませんか」と質問した。

 「まあ、天地自然の理によるんですわ」

 面食らった記者は「天地自然の理……、具体的に言うとどうなるのでしょうか」

 「雨が降れば傘をさす、ということですわ」

 それはどうも、わかったようなわからんような、と笑い話になったそうであるが、松下がその記者に説明したのは次のようなことであった。

 雨が降れば傘をさす。そうすれば濡れないですむ。それは天地自然の理に順応した姿で、いわばごく平凡なことである。商売、経営に発展の秘訣があるとすれば、それはその平凡なことをごく当たり前にやるということに尽きるのではないか。

 具体的に言えば、百円で仕入れたものは適正利益を加えてお客さまが買ってくれると思われる価格、百数十円で売る。売ったものの代金はきちんと集金する。

 雨が降るのに、傘もささずに濡れ放題というのは、よほど奇矯な人でなければやらない。ところが松下が長年の体験のなかで見ていると、商売や経営のこととなると、どうも当たり前のことをやらない人がちょくちょくいる。集金をきちんとしないで銀行から足りない資金を借りようとする。傘もささずに歩きだす人が多い。非常に成功している人と、失敗した人を比べてみると、そこに理由がある。

 雨が降れば傘をさす、暑くなれば薄着になる、寒くなれば厚着になる。天地自然の理というと硬くなるが、すなわち当たり前のことを日々やっていくということである。それを着実に実行していくならば、仕事なり経営というものは、もともと人に尋ねると得をする。

 「取引先のうまくいっていないところをみるとな、やはりその店主の力以上のことをやっているんやな。ほとんど例外なしと言っていいほど、自分の力以上のことをやっているんや。それに対して、うまくいっているところは、その店主の力の範囲で仕事をしておったな。たくさんのお得意先がおったから、それがよくわかるんや」

 と教えてもらったことがある。会社が失敗したのは、不景気が原因だとかいろいろ人は説明するが、その経営者のものの考え方が、地に足がついていない場合が非常に多かったというのである。

 志はもちろん大切だが、その一方で日々当たり前のことを積み重ねながら、実力を蓄えていくことが大切である。

── 終 ──

掲載したのは一部分です。全文は単行本をご覧ください。

まずは、「熱意」を欲すること。  想いが熱となり、人を動かす。  自らが体を動かすことで、さらに熱を生む。  集中することで、さらに熱が生まれる。 そして、常に問題意識を持ち、問い続けること。 知ること、興味・関心を持つこと、好きになること。 やってみれば、疑問点が浮かんでくる。 そして、悩む。 いくら読んでもわからなかった世界が、そこにはある。 でも、一番大切なことは、書かれていない。  言葉にはできない? いや、そうではない。  誰もが当たり前だと思っていて、わからないことがまだある。  根本的なことだ。 1つは、イメージの持つ力。  もう1つは、器(イレモノ)の状態を保つ方法。 文章で書けることは、心構え。 精神的なこと。  それだけでは、不十分。 精神的なことでも、その根本的なことが書かれていない。 肉体的なことも、足りていない。 精神と肉体をつなぐ仕組みが、書かれていない。 文章では、書きにくいのかもしれない。 毎日ジョギングをするとかは、健康の大切さは書かれている。 でも、それが、どう「熱意」に結びつくかがイメージできない。 そこまで追求して書かれてはいない。 どこを鍛えるのか。 意識するのか。 そして、どうして、それが効果的なのか。 ひとえに「歩く」といっても、千差万別。  なぜおおまたで歩くことがいいのか。 歩くのが苦手な人からみれば、疲れるだけだ。 苦手な人が、やってみたいとは思わない。 「熱意」に触れれば、やってみたくなる。 夢を持つ人は、その想いは人にも伝播する。