ハングリー精神と根性論。

「ハングリー精神」と「根性論」をごっちゃにしていた。

耐え続ける、苦痛に満ちたイメージの「根性論」。

「ハングリー精神」とはまったくの別物のように思えてきた。

というか、「ハングリー精神」は、正直よくわからない。

ハングリーな状態になる利点は、死を目の前にすることで、

「生きる」という明確な目的ができることだろう。

目的に集中できるようになり、雑多な騒音も気にならなくなる。

そして、「ハングリー精神」を求める理由の1つは、

心を押さえつけているリミッターを外せるようにすること。

こえは「根性論」や「精神論」で身につくとは限らない。

ロンドンオリンピック男子マラソン代表内定をほぼ確実にした藤原新選手のインタビューを聞いて、そう感じた。

あの伸びやかにゴールした後の彼の笑顔は、眩しかった。

正直、あの明るさには、イラッとしたんだけどね。  最初w

でも、この違和感がヒントになった。

彼に火をつけたのが、公務員ランナーの川内選手だ。

彼の常識外れの練習方法を知り、覚悟を決めたという。

いざというときに、守りに入るようではダメ。

洞察力と経験、計画性を充実させてこその守りだろうし。

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びわ湖毎日マラソン2012で期待されていた堀端選手は、後半でまさかの失速。

あんなに実力があったように見えたのに、なぜだろう?

給水に失敗したから?

それもあるだろう。

が、あくまでも表面的な要因に過ぎないだろう。

いくら給水練習をしたとしても、今のままでは駄目だと思う。

では、なぜ給水に失敗したのだろう?

苦手意識、マイナスイメージがあったのかもしれない。

苦手意識の克服は、リミッター外しとも似ている。

集団での密集した小競り合いが続いてしまった前半。

予想してたにしても、かなりイライラしてたことだろう。

アレで、かなり精神的に消耗しているように見えた。

彼の大きなスライドは、日本人選手とは歩幅が合わないらしい。

周りの選手が邪魔だと思ったのではないだろうか。

もしかしたら、周りが全員が敵に見えていたのかもしれない。

もし、周りが敵だらけだとしたら、そりゃ疲れるよね。

味方にもできたはずなのに、その技術がなかった。

あくまで推測に過ぎないのだけれど。

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そして、窮屈な集団を避けるかのような位置取り。

外国人を意識しすぎてか、前に出すぎてた感がある。

あのくらいのペースなら、後方から追うこともできただろう。

でも、しなかった。

いざというとき、速さについてイケなくなる…

そんな不安から、できなかったのかもしれない。

ラソンの格言で、こんなのがあると聞いた。

前半テレビに映らない選手ほど、後半に伸びてくる。

言われてみると、確かに堀端選手は前半からテレビに映りすぎてた。

注目されていた選手だからアレだけど、確実に目立っていた。

終わった時の監督のコメントがひどすぎる。

宗猛監督(59)「力がなかったということ。これでは厳しいでしょう」

力がなかったのは、彼なのでしょうか?

優秀すぎた監督とプレッシャーに潰されてしまったのかもしれない。

藤原新選手のように、また這い上がってきて欲しい。