「過程と結果」どちらが大事?
「過程と結果」、どちらが大事?
似たような問題に「家庭と仕事」なんてのがあるけれど。
今回は放置プレイ。
\(-_\)(/_-)/ ソレハコッチニオイトイテ...
最近、よく耳にする話題の1つ「過程と結果」。
自分だけなら過程を大事にしたいけど、社会では結果を求められる。
そんな答えをくれた人がいた。
そうなんよね。
結果よりも過程を・・・、という人は多いんじゃないだろうか。
かつて、SMAPの「世界に一つだけの花」がヒットしたように。
どうしてこうも比べたがる?
一番になりたがる?
競争社会への閉塞感、その息苦しさから逃れたい・・・なんて。
一生懸命になればいい。
ボクもそう思ってましたし、今でもそう思います。
ただ、勘違に気づいてからは、少し考えが変わってきました。
「過程を大事」にしたいのは、今も変わらない。
でも、「結果を大事」にした方が、より「過程を大事」にできる。
なおかつ、自分の「気持ちを大事」にすることにも繋がってくる。
・・・はっ?
意味わかんねって?
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「なぜ結果を大事にした方が、より過程を大事にできるのか?」
ここでいう「結果」とは、自ら望んだ「結果」であるということ。
少なくとも、他人から与えられた結果じゃない。
この点が、「結果」に対する勘違いを生んだ原因だと思う。
どうしたいか?
どうなりたいか?
何が欲しいのか?
何をしたくないのか?
今の気持ちを大切にし、未来をイメージする、それが「結果」。
一般には、「目標」とか「目的」とか「ゴール」と呼ばれてる。
例えば、家を建てる作業員だったとしよう。
どんな建物が建つのがイメージしながらやる作業と
ただ何も考えずに目の前の作業を黙々するのと、どっちが楽しいだろうか?
瀬戸大橋を作ってる。
大阪の新しい駅ビルを作ってる。
東京スカイツリーを作ってる。
・・・
結果(完成品)をイメージしながらの方が張り合いが出るだろうし、
やりがいも感じるんじゃないだろうか?
この仕事(勉強)は、いったい何のためにしてるのか?
結果をイメージすることは、過程に意味を与える。
意味のない作業は、三途の河原の石積のように、ただ辛いだけ。
まあ、こんなことを書きながら。
自分を痛めることが楽しいと思ってた時期もあったんたけどさ。
その頃は自分が嫌いだったし、マゾっぽかった。
(意味のない作業も、楽しく感じる場合があります)
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なぜボクは「過程を大事」にしたいと思っていたのか?
なんでやろねw
そうそう、先日、ある会社がテレビで取り上げられてました。
> 佐藤繊維株式会社 世界にはばたくメイドイン山形
南アフリカのモヘアを使った超・極細の糸は凄いと思った。
若い人も、どんどん集まっているらしい。
と、ここで話を戻すと・・・
なんてことはない。
結果を見て判断してるのは、まさに自分じゃないかw ←
世間(社会)もそうかもしれないが、自分もそうだった。
ここに気づけたことが、とても大きい。
今まで胸の奥につかえてた重苦しい違和感がパッと消えた。
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一般に、就職だったり、受験だったり、
よく知らない多勢の人から、候補者を抽出しようとすると、
まずは表面的なプロフィール(結果)に目を通そうとする。
過程よりも結果で判断する傾向にある。
その方が「楽」だから。 時間もないし。
会員登録して行うような婚活も、そんな感じ。
人は無意識のうちに、まずは結果で判断しようとする傾向にある。
見た目も、結果の1つ。
そして、いいなと思った人に話しかけ、吟味する。
よく知らない人を評価する場合、過程はすっ飛ばすされる!?
評価される側はたまったもんじゃないが、
評価する側の人から見れば、ごく自然だと思う。
結果を見て興味を持てば、その過程も知りたくなるかもしれない。
結果で判断するのは、あくまでも取っ掛かり?
ボクが「過程を大事」にしたいと思っていたのは、
希薄な人間関係が、裏に隠れてたのかもしれない。
> No.104 『結果よりも過程が大切』 / 愛する人に愛される方法
大切な人とは、目の前のカテイをじっくり分かち合いたい。
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「結果を大事」にする、とはとういうことか?
結果が出る前には、過程に意味を与え、やりがいも生まれやすい。
結果が出た後には、感情が高まり、経験としても蓄積されやすい。
望んだ結果なら嬉し涙、そうでなければ悔し涙・・・とか。
そう言えば、昔、負けて悔し涙を流してる人がアホに見えたっけ。
たぶん、そういう経験が乏しかった自分は、羨ましかったのかもな。
なんてことを書きましたが、
一番大切なのは、過程でも結果でもありません。
目的のジレンマに陥らないように、気をつけて。