愛とは何か!?再びキター

愛とは「他と繋がりたい!」と思う心の引力です。

その源となるエネルギーというのかもしれません。

愛をいったん見失うと斥力を感じることもあります。

愛を受け入れられなくなっても斥力を感じます。

愛に気付かなくても斥力を感じます。

愛の及ぼす作用としては、

誰かと一緒に居たいと思ったり。

逆に、一緒にいる人たちを見て羨ましく思ったり。

心が温まるもの、心が冷たくなるもの。

その2つがあってはじめて愛なのだと思います。

そんな相反する感情が常に同居しているのが愛

本能。

人間そのものと言ってもいいかもしれません。

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よく「恋愛」で取り出されるのが「恋との違い」です。

たぶんね、一方通行な想い、それが恋

ある意味、恋は下心? そして、愛は真心? ←お姉ちゃんのいる店でオヤジが使いたがる口説き文句

一方通行な恋、たまに変だと勘違いすることもあります

それに対し、

一方的な想いを双方向にしていく力が愛なのかなって。

「愛する」/「愛される」とは言いますが。

「恋する」だけです。

「恋される」ってのもあるのかもしれませんが、

あまり使いませんし、ストーカー的じゃないですか?

これはたぶん、愛の一方が欠けた状態なのかなって。

だらか奇妙に感じるのかもしれません。

もう一度言います。

愛は決して真心だけなんかじゃありません。

愛は決して真心だけなんかじゃありません。

大事なことだから2度言いました。

そんなキレイなモノだったら、人らしくないでしょうに。

神様、もしくは、自力で悟りを開いちゃった聖人くらいです。

「恋人」は? 「愛人」は? と揶揄したくなるのもわかります。

醜いもの、汚いものに反発しちゃうように、

美しいものに反発しちゃうのも、また人なのですから。

それらを受け入れられたとき、はじめて

愛の本質が心の底から理解できたと感じるのかなって。

そして、悟りを開きはじめていくのかもしれません。

でも、怖がられちゃうかもよ?

人らしくないんですもの。

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愛は人と人との間だけでなく、人と物との間にも存在しますよね。

それは、物に対しても人は感情が沸いてくるモノです。

物にも神が宿る

そんな考え方を持った民族がいましたよね。

凄いとは思いませんか?

物を大切にしたいという気持ち

逆にゴミ扱いしていると、目障りに感じてしまいます。

それは、自分を粗末にしていることなのかもしれません。

「自分はゴミ以下なの?」

そりゃそうでしょうよ。

ゴミの存在は認めているのに、

自分の存在は認めてあげられないのですから。

ゴミを資源とは呼べませんか?

トイレ掃除は楽しくないですか?

その負の感情を取り除きたいのなら、

まずは身の周りの物から大切にしてみてね。

愛情を注ぎ大切にされた物であれば、

いつかきっと答えてくれますから。

信じてあげてください。

あなた自身を。

そして、あなた自信の中にある愛情の記憶を。

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物と接触したとき、人は五感を通してそれを感じます。

そして「好き/嫌い」という感情が沸いて来ます。

今の自分と関係があるからこそ感情も沸いて来るのでしょう。

今の自分と繋がりが全く無かったら何も感じないはずです。

無関心。

ま、そんなのはただの言い訳なんですけどね。

わからないことを認識できてないってだけの話。

ソクラテス曰く「無知の知」?

単に物に対する情報&経験が足りてないというだけの話…。

心の奥底に耳を傾けてみることを疎かにしていた結果…。

世の中の殆どのことは

心理的な盲点に覆われて認識すらできないんだとか。

だからと言って、無理に関心を寄せることもありません。

現時点の器に入る量には限界がありますからね。

どうしても必要なことなら、ゆっくりと、徐々に、です。

最初の準備運動から焦りすぎちゃう人は、

器に入りきらずに溢れてしまうことでしょう。

最悪の場合、器が脆くなって割れちゃっうことも。

それが運命に嫌われるということなのかもしれません。

慣れないうちは、気持ちを抑制するのが吉。

そして慣れたら全力で突き進んでいくことです。

それからでも遅くはありません。

もう一つ。

その盲点を取り除く力が「」。

できるだけ大きな夢を持ち続けること、だそうです。

ワクワクする何かを、全力で追い求めることです。

素敵なことじゃないですか。

ぜんぜん恥ずかしがることなんかじゃないですよ。

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人は、ある時期に入ると、

自分以外の人や物に触れながら、

自分という得たいの知れない何かを探し、求め続けるようです。

思春期の後の青年期に訪れる「心の旅人」の時代…。

殆どの人が、自分を明らめないまま途中で諦め、余生を送ります。

そんな話を聞いたことがあります。

それで自分はダメだ!情けない!と思ったら、それは罠。

そこに漬け込んで、変な宗教の人たちが入り込んできます。

注意してください。

実は、明らめなくて良かったのです。

明らめようとすることを、まずは諦めてください。

自分は情けない、その醜い感情を認識してあげてください。

その挫折こそが、自分を明らかしていくためのスタート。

キリスト教でいうところの、神への信仰のスタート?

あとは目の前の日常的なことを通して学べます。

「ごめん」 「許して」 「ありがとう」 「愛してる」

これだけ覚えとけば大丈夫。

そこからは長い長い道のりになるかも知れません。

秘訣は楽しむことです。

1つ1つのことに集中できるように工夫することです。

「体を動かす(五感を働かせる)」
「新しいことをする」
「好きな人の真似をする」
「自分にご褒美を与えてあげる」 ←自分を知る

そして自分を見つけた人こそが悟りの境地に至るのでしょう。

仏教で曰く、桃源郷という名の極楽浄土へ続く道。

あれは伝説なんかじゃありません。

とても身近なところにあったのです。

灯台下暗し。

その光の地は、夢を追い求め続けた先にあるのだそうです。

最初はどんなにしょぼくい夢でも、ちっぽけな夢でもいい。

心の羅針盤がビンビンとワクワクさえしていれば

夢は常に変わっていくモノなのですから。

結婚して子どもができたら変わったって人もいるでしょ?

始めは別れて行くように見えるけれど、終着点はみんな一緒…。

どんな夢を追い続けても同じところに行き着くんだそうです。

それをワンピース〜ひとつなぎの秘法と名付けた人もいました。

そして、その攻略のヒントがグレムリンの「NOPS」なのかなって。

マイナス思考、負の感情を克服していく方法。

それ以外の方法も、きっと、たくさん転がっていますよ。

もし見つけたら教えてください。

人は暗闇を完全に取り除けたとき、

心が光で満ち足りた気分になるんだそうです。

そして神の光と出会います。 悟りの地で。

生きてて良かった!

息してて良かった!

愛してて良かった!

ありがとう♪