いじめている君へ、いじめられている君へ。その6。

いじめ問題が社会問題として取り上げられる中で、朝日新聞の朝刊に毎日コラムが掲載されるようになった。今日(2012年08月10日)は脳科学者の茂木健一郎さん。


いじめられている君へ
外の世界とつながろう

君に真っ先に知ってほしいことがある。
世の中は、君をいじめている人だけでできているわけではない。だから、小さな集団に閉じこもって絶望を募らせたらダメだよ。
君をいじめている人は、他人の痛みを想像することができないんだ。集団で1人をいじめることの卑屈さにも気づかない。未熟で弱い人間なんだろうね。
でも、世の中にはいろんな人たちがいる。君にとって(君をいじめている人にとっても)必要なのは、世界の広さを知ることだ。そのためには、社会のさまざまな人たちと接することが大切じゃないかな。
こんな研究がある。「他人のために何かをする」という利他的な行動は、1人がかかわる集団がたくさんある方が発達しやすい。それぞれが一つの集団にしか属さない場合、他人のために何かをするという行動がうまれにくいというんだ。
この研究を子どもに当てはめて考えると、クラスのみんなが「学校がすべて」になっていると、いじめが起こりやすい。いじめられている子を助けるような利他的な行動も起きにくい。
だから、本当は学校のみんながいろんな集団にかかわっているのが理想なんだ。君をいじめている人たちも、広い世間を知れば、グループに閉じこもっていじめていた自分が、いかに卑劣だったか分かり、恥ずかしくなるだろう。
とりあえず君も、学校だけでなく、ご近所さんとか、塾とか、スポーツのチームとか、外の世界とつながっていこうよ。いろいろな場で多くの人と知り合えば、学校でいじめられても、別の集団、仲間がいるから、心のバランスを保つことができるはずだよ。

以上。


なるほど。だから、創価学会のトップと会談しつつも、グループに属することは拒んだのか。アレ?いやいや。興味深い話だった。とにかく外に出ろとか、逃げろとか言うよりも説得力がある。そんな彼は劣等感の塊だったらしい。

中学生の頃、弓道部に入っていたことがあった。なかなか的に当たらずに、一つ上の先輩たちにからかわれてばかり。それが嫌で辞めてしまった。今でも用具は捨てられずに残っているのだから、相当悔しかったのだろう。でも、このコラムを読んで辞めて良かったと、素直に思えた。ありがとう。

グループの中に属することで自然と役割が生まれてくる。長く属し続けて外に出るのを億劫がっていると、危険度が増すのかもしれない。学校の先生がいい例だ。いじめが起こりやすい環境にある。

いじめを減らすには、まずは学校をオープンにして、地域との繋がりを持ちやすくした方が良いのかもしれない。先生方が地域と係わりやすくなるように。そして、先生方が学校以外の社会と繋がっていけば、いじめは減らせるのかもしれない。まあ、先生方が忙しすぎては、もともこもないのだが。とにかく大人たちが自ら変わろうとしなくてはダメなのだろう。