野田総理はもう終わり。。。か?(新聞風に)。

朝日新聞の声欄に興味深い投稿が掲載されていた。

野田首相は責任と権限を混同
精神科医 渡邊千秋
(水戸市 59)

「私の責任で原発を再稼働させます」という野田首相の発言に違和感を感じていた。だが首相が6日に衆院解散なついて「私の責任の下でしかるべき時に対応する」と発言したと聞き、やっと理解できた。首相は「責任」と「権限」を混同して使っていることがだ。
「責任」とは他者に配慮し、万一の時には責めを負うということだ。一方、権限とは法律や規則で定められた相手を従属させる力のことだ。ところが首相は、原発再稼働という万一の時に責めの負いようがない問題で「責任」を使い、解散では「私の判断で」あるいは「私の権限で」と言うべきところを「責任の下で」と言う。民意を身に引き受けるのが責任であり、民意を抑え込んで自分の意思を押し付けるのが権力や権限だ。混同してほしくない。
消費増税原発、TPPと、次々に「決められる政治」を掲げ、世論の対立をあおる。その手法に危惧を抱くのは私だけだろうか。

2012年08月10日(金)

以上。


なるほど。深い洞察力だ。言葉って大切だとつくづく思う。気になっていたのは、首相の口元がスネ夫に似てるってことでして。口先だけの嘘っぱちなのか、低音で睡眠導入剤になりそうな一方で、どこかに違和感を感じることがしばしばあったが、決定打が無かった。

おそらく、野田首相の発言は国民に向けたメッセージに見せかけて、その実、気持ちは増税原発再稼働を確約した人達に向けられていたのだろう。彼らに配慮しての発言なら「責任」でも合点がいく。もろさがでた。

もう一つの違和感は「政治生命をかける」だ。これは「首相の任期は消費増税が決まるまで」というシナリオがあっての話なのだろう。そこまでは確約するが、あとは状況しだい。だから今必死。

結局、次の代表選で降ろされることが決まった。そんな表情だった。モノと同じ。哀れすぎる。使い捨て総理はまるでゴミ扱い。頭を入れ替えれば、また支持率が回復するとでも思ってるのか。大量消費時代の名残なのか、国民をバカにしてように見えた。海外市場を気にして「決められる政治」というが、使い捨て首相こそ問題だろうに。

そこにつけこむのが小沢氏だ。先日、岩手県第2の山・早池峰山に向かう途中で、小沢氏の剥がれかけのポスターを見かけた。地元の人に話を聞いてみたら、週刊誌の暴露話が少なからず影響してる感じだった。あの話は誰からのリークだろうか。ネットも活用し、無党派層の主軸である若い世代に積極的に働きかけているようだが、はたして上手くいくのか。こちらの方がそれなりに政治生命をかけているようにも見える。あからさまだが、確かに巧い。