いじめている君へ、いじめられている君へ。その3。いじめを見ている君へ

いじめ問題が社会問題として取り上げられる中で、朝日新聞の朝刊に毎日コラムが掲載されるようになった。今日(2012年08月06日)は社会学者の中西新太郎さん。

いじめを見ている君へ
信用できる大人探そう
いじめを見ていて「おかしい」と感じたら、君のその思いをきちんと受け止めてくれる大人を探してください。現状では、それしか手がありません。
残念ながら、すべての大人が信用できるわけじゃありません。たとえば「それはいじめなのか、いじめじゃないのか」と言う人はダメですよね。きっと君の方が、大人を見分ける目をもっていると思います。
探すのは学校の外でもいい。他の子の親だって、ラジオDJだっていい。言っても解決しないかもしれないけど、自分の気持ちを晴らすだけでもいいんです。
いじめを見ている側にいると、「解決のために君が立ち上がるべきだ」と言われることがあるけど、解決するのは大人の責任。君は、信用できる大人に伝えたら、「ちゃんと言った」と胸を張ってください。
それは君自身のためにもなります。いじめのスイッチは、ささいなことで入りますよね。「自分が好きなアイドルをかわいいと言ってくれなかった」とか、理由はさまざま。君がいつ、いじめられる側になるのかわからない。今後、いじめられる立場になったとき、その信用できる大人は、君の助けになります。
いじめを見て嫌な気持ちになることもあるでしょう。君にも「つらい」と言う権利はあります。「こんなおかしな場所は嫌だ」と言って学校を休む子もいます。言ってもいいんです。
いじめを嫌な気持ちで見ている人たちと集まるのもひとつの方法です。いじめから距離を置くグループが増えれば、いじめが広がるのを防げます。そういうつながりを作ることで、少しでも居心地が良い環境を作ることができますよ。

以上。


今回は当事者以外の周囲の人たちに向けたメッセージだった。今までとは違ったパターンだ。

いじめに気づいた時はどうしたらいいのだろうか?そして、周りの大人たちはどうしたらいいのか?すぐに線引きしようとする大人は信用できない、ということだが。もし話を聞かされたら、解決を急ぐあまり、つい線引きをしてしまいそうだ。反省。サル並みに。相談された大人は、いったいどう対処したらいいのだろうか?

いじめに係わったことがなければ、わからないのも当然。つい知ったかぶって、どこぞの誰かが言っている適当なアドバイスを言ってしまうよりは、すぐに対処しようとせずに、まずは子どもの話に耳を傾けることが肝心なのかもしれない。そばに居てあげるだけでも力になるらしいし。寄り添いながら、聞き役に徹するくらいなのかな。できることって。うーん。もどかしい。

今朝、小雨が降って少し涼しくなった。ありがたい。

オリンピックでは、女子バドミントンダブルスとフェンシング男子フルーレ団体が銀メダルを、ハンマー投げで室伏選手が銅メダルを獲得したらしい。卓球女子団体も決勝進出。頑張っているなあ。

女子マラソンは予想通りの結果だった。雨降る中、日本代表の3選手が全員完走できたのは、進歩なのかもしれない。ただ、国内の選考レースに関して言えば、やる意味を見いだせないでいる。難度の高いコースと走る選手たちと、あまりにも違いすぎて。

そういえば、今日は広島の原爆投下から67年目にあたるらしい。被爆国だからこそできることが何かあるような気がする。それを見出だして行動に移せたとき、日本の戦後は終わるのだと確信している。

原発に脅えながらの経済発展はもういらない。そもそも、経済発展への未来がずっと見えないのだから、新しい道を模索するしかないはずなのだ。それは正に今だ。決断の時は来た。立ち上がっぺよ!日本で暮らす人たちよ!