食べ残しを見るのは、やるせない。
ブログネタ: 食事の食べ残し、どう思う?
子どもの頃には無理して食べてました。
両親から受けた食育の影響でしょうか?
戦後を生き抜いてきた両親の言葉は強かったです。
ラーメン屋に入った時のことです。
大人用のを注文したら、量がいっぱい、おなかいっぱい。
でも、最後まで我慢して食べました。
両親には呆れられてました。
ほんと、「ごちそうさま」を知らない子だね。
なぜだかはわかりませんが、残すのが嫌いな子でした。
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大学の先輩に、ボク以上のツワモノがいました。
「飲み会で出されたビールはすべて飲み干す!」
お開きの後に残ったビールを見つけると、よく飲んでました。
マズイだろうに・・・。
何となくわからなくもないのですが、とにかくスゴかったです。
アルコールが苦手な方でした。
ヾ(- -;)
そして、院生の頃だったでしょうか。
後輩の中国人の新婚さん家庭におよばれした時のことです。
夕食には山盛りのおかずが出てきました。
「スゴイね! でもこんなに食えないよー」
マナーだと思って無理して食べようとしたら、こっそり教えてくれました。
「無理して食べないでね。 明日の朝食がなくなっちゃうから。」
あちらでは「裕福さ」を示すことも、おもてなしの1つ。
見栄とかではなく、歓迎の意味も込めているような感じでした。
御陰様で、こんなにも裕福に暮らせています、と。
それからというもの、残すのも悪くないんだなと思うようになりました。
逆に無理して食べてお腹でも壊したら、そっちの方が問題かなって。
自分自信を痛めつけますし、周りにも心配するでしょうし。
(子供の頃のは、まあ、逆に鍛えられかな?w)
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ただ、まだ食べられるモノをゴミとして棄てるのは、、、ね。
見るたびに、やるせなくなります。
だから、食べ切れないときは、取っておき、後で食べるようにしています。
限りある命〜最後までしっかりと面倒をみる!
でも、やはり食べられなくなってしまうモノも出てきます。
以前は生ゴミとして出してました。
でも、それもやるせなくなる自分がいることに気づきました。
最近では、家庭菜園の堆肥として再利用しています。
おかげさまで、「燃やすゴミ」も激減しました。
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「食べ残し」するかしないかは、どっちでも良いと思います。
無理して食べるのも、ゴミとして廃棄するのも、どっちもどっち。
それよりも肝心なのは「命を粗末にしない」こと。
最近、「命を食べている」という感覚が薄れてきてるように思います。
添加物が普及し、加工食品が多くなってしまった影響でしょうか。
「生かされている」という感覚。
「命を繋ぐ」という感覚。
目では見えないし、わかりにくい。
ボク自身、カロリー表示に代表されるように、数字以外のものが見えなくなってた時期があります。
味も「美味しい」とはあまり感じなくなっていました。
物で溢れて裕福になってきても、あまり裕福だとは感じないのは何故?
たぶん、ゴミと一緒に何か大切なモノを棄てていたんでしょうかね。
最近忘れがちだった、「いただきます」と「ごちそうさま」。
そんな慣習のある日本って、良い国ですね。
感謝を示すそれらの言葉の偉大さを、改めて感じた質問でした。
ありがとうございました。