大人になることと責任と。

大人とは何ぞや?

そんな質問をしてみたことがある。

その答えとして多かったキーワードが「責任」であった。

「責任」って何だ?

子どもの頃から、自分のやったことは自分で始末してきたぞ。

でも、おまえは子どもだなって言われ続けてきた。

納得できへんかった。

今にして思えば「責任」って言葉の意味を勘違いしてた?

そんな風に思う。

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自分のやったことに対して責任を持つ。

でも更に、その上があったようだ。

ボクが認識してた責任を持つ対象は狭すぎたのだ。

どうでもいいことに気を取られていた。

だから、ボクがやっていたのはうわべだけの責任なんだろう。

ぶっちゃけ、起こった物事を処理するのは誰でもいい。

でも、自分が必ず責任を持たなければならないものがある。

それに気付けなかった自分が居た。

もっと大切にしなきゃならないのは、中身なんだよね。

その中身が空っぽだったから、うわべだったんだよね。

じゃ、その中身って、いったい何なんよ〜。

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ボクが思いついたのは、感情だった。

自分の中に湧き上がった気持ち。

誰かのじゃなくてね、相手がいない場合もあるし…。

自分の感情に対して「も」責任を持つということだった。

感情は、周りに反応して沸きあがってくるものだ。

ジェットコースターに乗ったときを考えるとわかりやすい。

怖いと思う人も居れば、楽しいと感じる人もいる。

もしかしたら、もう飽きて何も感じない人もいるかもしれへん。

要するに、状況は同じなんだけれど、反応は人それぞれ。

沸いてくる感情は、人それぞれ。

このことに気付いたとき、頭の奥で電撃が走った。

ああ、感情って、自分の中から沸いてくるんだなって。

ということは、自分でも制御できるんじゃないかって。

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道端の石ころに躓いたと言っては、周りに当り散らす人。

大人ならみっともないけど、子どもなら素直でかわいいと思う。

そう、子どもなら…かわいい…。

逆を言うと、ボクが子どもの頃は素直じゃなかった。

周りに当り散らせずに、自分だけで処理しようとしてた。

「大人ぶってた」とでも言うのでしょうか。

世間の目、義務感に縛られまくって。

今にして思えば、それがあかんかったのだと思う。

見えへんところで、いろいろとね、自分の中に溜まっていったし。

つまらないのは何も無いからだと今の状況を悲観するだけ。

いつの間にか、そんな自分すらも嫌いになっていたように思う。

気付かないうちにね。

やはり、子どもは子どもらしく。

感情を思うように処理できない自分がいた…。

それでいい。 それで良かったんだよ。

それを、そのまま伝えれば良かったんだよ。

きっと誰か受け止めてくれる人がいたはずなんだ。

見守ってくれた人たちが信用できなくなちゃって。

それは、元を返せば自分が信用できへんから。

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ボクの責任は行動だけだった。

気持ちが伴っていなかった。

そう痛感したんだ。

どこかで自分の気持ちを他人のせいにしていた。

だから、「見せ掛けだ」って言われてちゃったんだろうね。

誰でもない、自分にさ。

自分の中に住んでいる、小人さんにさ。

その小人さんが見えたとき、見てる景色は一変した。

道端の石ころに躓いたと言っては周りに当り散らす子ども。

そんな子どもを見るたびに、今まではイライラしてたんだけど。

そんな子どもが、妙にかわいいなって思うんだ。

なんか包み込んであげたいくらいに。

ああ、こんなにも空気が新鮮でウマかったのか。

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もう一つ、別な視点から。

自分の感情に対しても責任が持つってこと…。

どこを見ながら歩こうとしてるのかってのにも関係しているのかも。

自分の感情に取り付かれたまま、過去に縛らて生き続ける。

そんな、過去を見ようとしてイルカ。

自分の感情に蹴りをつけて、未来を良くしようと行動に移す。

そんな、未来を見ようとしてイルカ。

誰しもが、そんな大人と子どもの境界線を行ったり来たり。

そうしながら、だんだんと大人として成熟していくのでしょう。

そんなところに落ち着いてきた。

言うは易し、行なうは難し。

死ぬまでに、ボクは大人になりきることができるのだろうか?

でも、きっと、オマエならできるさ。