無縁社会って、変な言葉だよね。 いい意味で。

無縁社会

某国民放送のとある番組のタイトル。 ρ(・д・*)コレ

> 『追跡!AtoZ 無縁社会の衝撃』 ←続編

今年(2010年)の4月はじめに放送された番組。 以前放送された番組の続編のようでした。 夕方くらいに本編の再放送が流れていましてね。 それをチラッとみたら、「コレ、以前に見たことあるかも?」って、妙に気になってる自分がいました。 引き込まれるように観ていた自分がいたんですよね。

NHK『追跡!A to Z「無縁社会の衝撃」』を見て / 目黒のさんまと、あおいそら ← 詳しい内容が書かれたブログ。

共感せずには居られない内容でした。 「あぁ、自分だけじゃなかったんだ。」 そんな安心感…と思っていたら。 番組の最後で、「皮肉にも…」と言われてしまいましたが。 アイタタタw

と! 気を取り直して。

すぐにブログに書こう!と思ったんですが、脳みそくんがゴチャゴチャしてたので止めました。 しばらく頭を冷やしてから書こうと・・・。

無縁社会、改善できることは - ココログニュース 2010.04.11 11:00

今まですっかり忘れていたんですよ。 ブログを書いていたらココログニュースが目に留まりまして。 思い出させてくださって、ありがとうございます♪ それで、今、このブログを書いているしだいです。

で、こちらが元ネタとなった本編 ρ(・д・*)コレ

>『社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃〜』←本編

1月放送の本編は反響がスゴかったんですって。 まったく知りませんでした。 ※ツイッターには一応登録してるんですが、放置プレイ中(笑)

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タイトルの話。 「無縁社会、変な言葉だ」って書いたのは、番組の中でNPOの人が残してくれた言葉が印象的だったからです。 「社会とは、人と人とが縁で繋がってる状態」・・・だったかな? その定義と、「無縁社会」という言葉は、なんだか矛盾した言葉のように思えてきてね。 面白い! これも、まぁ、番組スタッフの演出なんでしょうが。 よく考えたものです。

番組の中で言われてた「無縁ビジネス」は、正直アホやと思いました。 まるでハイエナやないか! でも、それが成り立ってしまう社会、ちょっと怖い社会だなって・・・。 その中で、お金払ってまで話を聞いてもらいたい人がいっぱいいるんだなんて。 「今暇だからいくらでも聞いてあげるのになー」なんて、安易に思っちゃってる自分がいましたぜ。 でも、これってさ、昔はそこいらの飲み屋とか、オネーチャンがいる店で済ませてたことでしょ?

なんて書いちゃいましたが。 ひきこもり中のボクですから、わからなくも無いんですよね。 複雑な気持ちです。

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「生きるってなんだろう?」

そう考えざるには居られない自分がいてました。 いろいろと考えました。 ネットも漁りましたし、本も読みふけりました。 人にも話してみました。 あまり聞いてくれる人がいませんでしたが・・・ボクの周りの人は目の前のことに忙しいよーでorz とりあえず、「生きる目的」みたいなことは、朧気ながらに頭の中では整理ができてきました。それとなく、理解できたよーな気がしてます。 でも、結局のところ、何の実感も伴っていなかったんですよね・・・不安は消えてくれませんでした。 いくら考えても、心は納得してくれないんだな、ってことだけがわかりました。 そんなときに放送されたのが、この番組でした。

番組では、無縁死(いわゆる孤独死)を取り上げていました。 衝撃でした。 誰にも見取られず、引き取られず、ひっそりと死んでいく・・・。 遺品は誰にも引き取られることなく、特別清掃業者の方々によって処分されてしまう・・・。 なんとも悲しい現実でした。 そういう人たちが、年間3万人以上いるんですって、この日本には。 本当に先進国なんですかぃ? でも、どこか見てみないふりをしてしまう自分がいました。 まるで、映画を観ているようでした。

そうして亡くなられた方は『旅行死亡人』扱いになるんだそうです。 その言葉を聞いて思い出したのは、ボクの実家近くにある無縁仏さま。 その起源は、有名なお寺に行く途中に行き倒れた人にあるんだそうです。 その方の亡骸が奉ってある場所が無縁仏となっています。 つまりは『旅行死亡人』ですよね。 今でも地元の人が管理人をしてくれて、小さいながらも大切に扱われている素敵な場所です。

「命は大切なんだよね? でも、死んだ人は、もうどうでもいいの?」

そんな疑問を投げかけずには居られませんでした。

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そうそう、
ボクにはわからないことがあります。

「さびしいって、、、何ですか?」

ボクは一人になっても、独りだな〜と感じても、さびしいとは感じないよーでして。 ボクってなんか変な人? なんてさ。 ボクがさびしさを感じない理由を考えてみました。

1. 昔鍵っ子だった。

家に帰っても誰も居ないのが当たり前でした。 両親は共働きでしたし、家の手伝いをしつつ、なるべく迷惑をかけないように過ごしてきました。 そして、自分の気持ちを押し殺したまま、いつの間にか思春期が過ぎ去っていったように思います。 俗に言う「いい子?」 なんでしょうか。

アメリカでは子どもを家に一人にしたままにすると、罰金が課せられると聞いたことがあります。 ベビーシッターやニーナ?みたいな人を雇うのが一般的なようです。

心配する親御さんがいるといけないので補足しておきます。 まぁ、なんだかんだと言っても、鍵っ子はあくまでもきっかけに過ぎません。 本質的な原因は他にあります。 それと、ゲームやアニメ、漫画なんかにハマったからかな?とも考えてみたことがありますが、これら本質とはズレています。 おそらくは、毎日の、ほんの些細の無いことの積み重ね・・・。 見えない何かを気にするあまり、自分の気持ちを出せないままに過ごし続けてしまったこと・・・。 しだいに他人との感情のやりがめんどーになっていった、今はそんな風に捉えています。

最近になって、その見えない何かの正体が見えてきたよーな気がします。 答えは自分の記憶の中にありました。 寅さん&午さんタッグチームとの戦い・・・とでも言うのでしょうかね^^

2. 叱られた記憶が殆ど無い。

上のと関係してるのかもしれませんが、父親に叱られたのは一度っきりです。 何で怒られたのかはわかりませんが、今でも怒られたという事実だけはハッキリと覚えています。 幸か不幸か、殴られたことはありません。 が、自爆したことは数知れずw

そう言えば、小学校高学年の頃に、先生に叱られたことがありました。 授業前に先生が遅れてきてね。 ボクは周りの友達とペチャクチャ話していました。 で、案の定、叱られました。 でも、なぜか自分だけがw あとになって、偶然その先生と再会できたので、その話をしてみました。当の本人は、「ごめん!あまり覚えていない」ですって・・・ヾ(- -;)オイオイ・・・ 「ただね、らっぱの。くんて、そのとき学級委員じゃなかった?」 「それとね、声が大きくて一番目立ってたんだよー」、ですって・・・。 自覚なかったです、ごめんなさいorz

今にして思えば、その怒られた理由に納得ができないまま、自分の気持ちをほったらかしにしてしまったのがイケなかったのかなって・・・。 誰か話せる人がいたら良かったんですがね。 あ、話したんだっけかな? でも、両親は忙しそうでした。 結局のところ、自分を目立たなくする方法を、しだいに身につけていったような気がします。 これが「いい子」のはじまりなんでしょうか? なんて思ったこともありましたw

子どもを叱る場合には理由もちゃんと伝えてください。 本人が納得できるまで。 そして、お子さんの言い分もしっかり聞いたげてください。 話もできるだけ聞いてあげてください。 お願いします。 気持ちを出せないでいるのが、一番辛いんです。 これって、便秘と似ている?w

3. かけがえの無い誰かを、まだ失ったことがない。

裏を返せば、心の底から他人を愛せたことがないってことでしょうか? 恋愛を避けながら、適当に生きてきた結果!? そうやって自分の気持ちを誤魔化しながらも、どこかに理想を求めてしまったりして。 メディアを介して、自分の中の理想は益々大きくなって、泥沼化していきました。 いつか現実に帰れるのかな?と思っていたら、そのままどっぷりハマっていったような気がします^^

恋愛が大切だっての、今でなら何となくわかるよーな気がます。 ただね、必要以上に求められると逃げてしまう自分がいてます。 何かがまだ怖いみたいなんです。

そんなわけで、今でも自分のことを心の底から大切だとは思えていませんし、大切な人もいないと感じてしまいます。 自暴自棄になって、お遍路も歩いてみました。 少しは変わったような気がします。 でも、あぁ、自分は独りなんだなって、未だにひきこもりをしてる自分がいてます。 人とのつながりを意識的に避けているわけなんですが、こうやってブログを書いている自分がいるところを見ると、どこかでは誰かと繋がっていたいんだな〜って、そんな自分もいてるのも確かです。

おそらく、根底にあるものは、自分が大嫌いだと言う事実。 裏を返せば、自分を好きになりたいんだという叫び?

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ボクがもう一つわからないこと・・・。

「なぜ自殺してしまうの? なぜ独りで死んでしまうの?」

生きるのが簡単になってしまったから、その分、自分の命も軽く感じるよーになってしまったのでしょーか。 秋葉原の通り魔事件のように、他人の命も軽くなってしまったのでしょーか。 それは「死」から離れて過ぎているからだ・・・そんなことを主張する著名人も多くいらっしゃいます。 そのときは、なるほど! と共感するだけでした。 今までの歴史の中でも、そうやって社会が壊れていく中で、戦争を求めてしまったのでしょうか・・・。 50年ごとに平和と戦争が続いてるっていいますし。 戦後60年を過ぎた今、とても危険な状態なのかもしれません。 なんて。 変に想像してしまっている自分がいてました。 が、実際、ボクにはわかりません。

ただひとつ、今までとの違うのは、ボクらには「ネット」があるということ。 ネットはリアルなつながりではないのかもしれないけれど、仮想空間を使っている以外は、リアルな人同士のつながり。 電話が発明された当時もそーだったように、新しい進化への一歩なのかもしれません。 カッコいい言葉でいうならば、「時空を超えたつながり」・・・とでも言うのでしょうか。 まだ生きてるなら、実際に会って話をする可能性だって残っているのです・・・よ?

いつでも消えることができる見えない仲間たちは、とてもとても細い線だけれど、確かに繋がっていると感じる瞬間があります。 こちらで一方的な思い込みなのかもしれないけれど、相手とは今のこの瞬間は同期していないのかも知れないけれど、確かに感じてるって実感がボクにはあります。 ここには居てる自分には、確かにリアルに感じているのです。 そんな「か細い安心感」があるのも事実。 これだけは幻ではありません。 ネットで細く繋がることで、戦争は回避できるはず、そんな強い核心が、ボクの中にはあります。 ただね、中国のよーに国家が情報操作してたらあかんのよね。

余談。。。国とは人の集まりに過ぎません。 ネット社会はそれを露呈しはじめています。 北朝鮮をみればわかるように、今まさにネットでつながれた人々が、国境をを打ち砕こうとしています。 中国人も天才集団の集まりです。 昔日本がやってきたこと以上に、さまざまな知識を吸収し、急速に発展してきています。 このまま行くと、中国政権もあともって10数年くらいじゃね? なんて。 その前に、日本政権がどうなっていることやら。 妄想は果てしなく続きます。

ここら辺は、てきとーに聞き流していただけると、うれしいです。

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「ボクと繋がりたい人、この指止まれっ♪」

そう言える人は本当にスゴいと思います。

一人でも繋がることができたなら、ボクもあなたも独りじゃないよ。 ただね、そう言いたくても、言えない自分がいてます。 だってね、何にも興味がわかないんですもの。 一人が楽なんですもの。 お金さえあれば、とりあえずは、誰と会話することもなく生きてしまえる世の中です。 そう、お金さえあれば・・・。 そう思ってる人はどれだけいるのでしょうか?

でも、実際に、この日本の社会では、自殺しちゃってる人もいるんだそーです。 自殺率が先進国の中でワースト2位の日本。 年間3万人以上の人が自殺している現状・・・。 つまり、15分に1人は日本のどこかで誰かが自ら命を落としてしまってるってこと。 今、このブログを書いてる間にも、どんどん人は自殺してしまっているんですよね。 どこの誰だかは知らないけれど・・・。 ここがとても危ういところ。

逆に、お金を憎んだこともありました。 お金さえなければ・・・。 でも、それは単なる「驕り」でしかないのかなって・・・。 手段、道具を恨んでも、やるせなくなるだけでした。

人に迷惑をかけたくない・・・「助けて」と言えなくい世の中はさびしすぎる・・・と番組の中で言っていた人がいました。 言えないのは世の中じゃなくて、ボク自身です。 まぁ、似たような人たちが集まって世の中が出来上がっていくんでしょうけどね。 ...( = =) トオイメ

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最後に、もうひとつ。 これは関係あるかわかりませんが、念のため書いておきます。

モノを捨てられない自分がいてます。 そして、いつの間にか、モノを大切にできなくなっていった自分がいてました。 モノが増えるたびに、あっちもこっちもと、自分の気持ちが分散してしまうんです。 目の前の自分の分身たちに気持ちがこめられなくなっている自分に、違和感を覚えはじめています。

「ボクはいったいどこへ行ってしまったのだろう?」