「人生は選択」だ?
「人生は選択」の繰り返し、
自分の人生は自分で決めるモノだ。
それはわかっていても、できないから悩む。
そんな人は多いんじゃないだろうか?
「人生は選択」だと言われて、
今までは「あ〜そうかもな」と思ってはいたけれど、
でも、ずっと腑に落ちない言葉であった。
選択を自分で決めるということは、
自由だということ?
その当たり前のことが簡単に見えて意外と難しい。
自由には責任が伴うからだろうか?
責任って聞くと、なんか重そうに感じる。
でも、まぁ、そういう単純なモノではない気もする。
迷ってる人は選択肢が見えないのだろうか?
それとも、選択肢が見えたとしても、
どっちを選択して良いのかわからないのだろうか?
「人生は選択」とは、いったいなんなんだろう?
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もし、「人生は選択」だけだとしたら、
人生はRPG(ロールプレイングゲーム)と
なんら変わりがない気もする。
「人生は選択」を主張するならば、
RPGとの違いの部分が大切になるのだろう。
そう思うと、
「人生は選択」という言葉の意味は、
思ったよりも奥が深いのかもしれない。
最近、
「目的」と「目標」の違いを考えるようになって
ようやく、その奥が見えてきたように思う。
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以前、働いていたときに不安に襲われて、
職場の人に、こんな質問をしたことがある。
「何のために働いているの?」
その人は、
「お金のために働いている。」
当たり前のような顔で、そう答えた。
確かに間違ってはいない。
でも、何となく微妙なズレを感じた。
たぶん、自分が聞いたのは「目的」であって、
その人が答えたのが「目標」だったからだろう。
一つの選択肢を選んで、その先の
「目標」に向かう道を歩いていた筈なのに、
突然、目指していた「目標」が消えてしまった。
その時はじめて苦しい自分に気が付いた。
その時はじめて「目的」のない自分に気が付いた。
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「目標」とは単なる選択肢。
「目的」とは目指す方向。
「目的」さえ見失わなければ、
「目標」を見失ったとしても、
いくらでもやり直しがきくのである。
「目標」を選ぶのも、
それほど重要でないことに気が付く。
それよりもとにかくやってみることの方が、
何倍も「目的に」近づいてるのだから。
成功も、失敗も、前進。
「目的」を見失った「人生は選択」ほど、
つまらない物はない。
それこそ、RPG的な人生だ。
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この前、面白い話を聞いた。
サスペンス小説を書いてるんだけど、
いつの間にかホラーになってしまうんだ。
そう言われてみれば、
ホラーって聞くと怖いって思うけれど、
サスペンスって聞くと楽しくなる。
ふと、
どちらの対象も理解不明な筈なのに、
この受ける印象の違いは何だろう?
あ、でも、
ホラーって怖い!と言いながら、
ついつい見てしまう人もいるらしい。
彼ら、彼女らの行動も面白い(笑)
っと。
ここに「人生は選択」を楽しむための
ヒントが隠されてるような気がする。
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先日、
アイヌの人々の話をテレビで放送してた。
便利な世の中になってる筈なのに、
何故か人は心に余裕をなくしてしまって、
逆に苦しんでいるようにも見える。
いったい人間の豊かさとは何なのだろうか?
そんなことを問いかけていたように思う。
人間の豊かさが何か、まだ良くわからないけれど、
「目的」付きの「人生は選択」を楽しんでいれば
そのうちに見えてくるようなことなのかも?