幸せとは何か? どうしたら幸せになれるのか?

ある言葉が目に留まった。

「皮肉なことに、選択肢が少ないときのほうが幸せになれる」

とある本を要約した言葉だそうだ。

選択と後悔とを結びつけた考察は、とても興味深い。

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なぜ選ぶたびに後悔するのか−「選択の自由」の落とし穴
The Paradox of Choice: Why More Is Less (2004)

バリー・シュワルツ
Barry Schwartz

The Paradox of Choice: Why More Is Less (P.S.)

Barry Schwartz
Harper Perennial (2012-01-01)
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後悔には、怒りや悲しみや失望といったほかのネガティブな感情にはない、嘆きにさえもない、格別にやっかいな点がある。 後悔を引き起こしている現状は、避けようとすれば避けられたという意識だ。 ほかでもない自分が、もし別な選択をしてさえいれば、避けられた。

過去数百万年にわたって、あれかこれかの見極めで生き抜いてきた歴史を思えば、わたしたちはいま、この社会で直面している選択の数に、たんに生物学的に対応しきれないのかもしれない。

◆邦訳
なぜ選ぶたびに後悔するのか ランダムハウス講談社 瑞穂のりこ訳

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自由に選択できるのは、いいことなのか、悪いことなのか? 本書は心理学、経済学、市場リサーチ、意思決定など、各分野の研究者が行った調査結果に基づいて書かれているが、その冒頭には、選択の自由を示す事実や数字が紹介されている。

たとえば、著者の地元のスーパーでは多彩な銘柄のシリアルが売られている。 テレビは選ぶのに苦労するほどいろいろなタイプがあるし、この頃はジーンズにも数えきれないほど多くの種類があって、「ふつうの」ものが欲しいと言っても店員には通じない。

シュワルツは、二つに分けた大学生のグループにチョコレートの評価を依頼するという実験を引き合いに出している。 あるグループにはわずか六種類、もう一つのグループには三〇種類のチョコレートを試食し、評価してもらった。 その結果、三〇種類のグループよりも六種類のグループのほうが満足度が高かった(「おいしかった」と言った)。 彼らはまた、実験の報酬でさえ、現金よりチョコレートを選ぶ傾向があった。

これは意外な結果である。 というのは、常識から言えば、選択肢が増えるのは一種の特権であり、満足するのが当たり前だからだ。 ところが実際は、選択肢が少なければ少ないほど、われわれは与えられたものに満足するらしい。

※一種類と三種類のように極端に少ない場合でもそうなのだろうか?
※嫌いなものではどうだろう?

シュワルツによれば、この事実は豊かな先進国特有の不安を示している。 つまり、選択肢の多さが必ずしも生活の質の改善や自由の拡大につながるわけではないので、かえって幸福にとってマイナスになる場合もあるというのだ。

◎なんでもかんでも選べる時代

決断を迫られるケースが増えれば増えるほどコストが増えるという事実を、シュワルツは巧みに説明している。

テクノロジーはそもそも時間を節約するためのものだ。 ところが、そのテクノロジーのせいで、かえって人間は狩猟採集生活に逆戻りした、とシュワルツは言う。 現代の社会では、無数のオプションから本当に必要なものを取捨選択しなければならないからだ。

たとば、かつては電話などの公益サービスを提供する会社を消費者が選ぶ必要はまずなかった。 しかし今日では、途方に暮れるほど多くのオプションがあるため、条件を逐一見比べるのが返って面倒になって、結局会社を変えない場合がよくある。

※あの鬱陶しいオプションはケータイ会社の陰謀!?

仕事の選択に関しても、親の世代が一生一つの会社で働く傾向にあったのに対し、今の若い世代は、通常二年から五年単位で転職する。 現在の地位に比較的満足していても、よりよい仕事はないかと常に目を光らせているのだ。

アメリカの場合? いや・・・

恋愛でも選択する場面は多い。 「これは本物」だと思う相手を見つけても、決断を迫られる問題が次々に出てくる。 どちらの実家の近くに住むべきか? 共働きなら、どちらの仕事に合わせて住む場所を決めるか? 子どもを持つなら、どちらが家にいて子育てをするか?

宗教についても、親から引き継ぐのではなく自分で選ぶ時代になった、とシュワルツは述べている。 自分は何者なのかというアイデンティティを選ぶこともできる。 持って生まれた民族性、家柄、階級などは、先祖から預かっただけの「包み」のようなものであり、かつては包みを見ればその人に関しておよその見当がついたが、今では頭から決めてかかるわけにはいかないという。

◎選択肢が多ければダメージも大きい

昔なら考えられないほど数多くのものから選べるようになると、心配な面も出てくる。 それは、人間が判断を間違えやすいということだ。 シュワルツはいろいろな具体例をあげて説明しているが、この間違いやすさを考えれば、常に「正しい」決断を下す可能性はかなり低い。 選択を誤っても大事に至らない場合もあるが、ときには深刻な事態になる。

たとえば、結婚相手や大学の選択は一生を左右しかねない。 選択肢が多ければ多いほど、失敗したときの代償は大きいのだ。 「選択の余地があれほどあったのに、どうしてひどい間違えをしたのか?」と疑問に思うのは当然のことである。

シュワルツは、オプションが増えて選択の幅が広くなると、次のような三つのマイナス効果が出てくると指摘している。

◆一つ一つの判断するのに手間がかかる。
◆間違いやすくなる。
◆間違いによって生じる心理的な影響が深刻になる。

◎「最高」を求めると不幸になる?

過ちを犯しやすい上に、決断を迫られるケースが多いとなれば、いつも「最高」を求めるよりも「まずまず」のものを求めるほうが賢明に決まっている。 おもしろいことに、シュワルツは人間を「マキシマイザー(最大化人間)」と「サティスファイサー(満足人間)」に分けて考えている。

マキシマイザーは、どんな状況でも「最高」のものを手に入れなければ満足しない。 したがって、試着するセーターが十五枚あろうが、パートナー候補が一〇人いようが、決定する前にオプションをすべて見比べなければ気がすまない。

サティスファイサーは、まずまずのものが手に入ればそれでよしとし、それ以外にもっといいオプションがあるかどうかは気にならない。 自分なりの尺度や基準があり、それにかなうものであれば決定を下す。 「最高」のものでなければどうしてもだめだという信念はない。

「ほどほどのところで満足する」という概念は、経済学者のハーバード・サイモンによって一九五〇年代に導入された。 興味深いことに、意思決定に要する時間を考慮すれば、まずまずの成果で満足することがかえって最良の策になる、とサイモンは断定している。

選択に要する多大な苦労を思えば、はたしてマキシマイザーのほうがよい決断を下すと言えるのだろうか? シュワルツの考えでは、客観的にはイエスだが、主観的にはノーだ。 つまり、マキシマイザーは、最高だと信じる選択ができたからといって、幸せになれるとは限らないというのだ。 サティスファイサーよりも少しだけ給料がよくて少しだけいい仕事が見つかっても、マキシマイザーがその地位に満足するとは考えられないからだ。

マキシマイザーになれば高くつく。  間違った判断が一つも許されないとすれば、すさまじい自己批判にさいなまれることになる。 選択を間違った自分を責め、なぜ他のオプションを調べなかったのかと後悔するはめになるのだ。

「〜すればよかった」「〜することもできたのに」「〜だったのに」という言い回しは、大勢の悩めるマキシマイザーのためにあるようなものだ。 彼らの運命を風刺した漫画がこの本の挿し絵になっている。 憂うつそうな顔をした新入生。 これ見よがしに身に着けたセーターには、「ブラウン大学、でも本当に行きたかったのはイェール大学」という文字が見える。

それにひきかえ、サティスファイサーは、「身近な選択肢で十分だ」と考えているので、選択を間違えてもそれほど自分を責めることはない。 完璧主義者ではないので、不完全な結果になっても(それがふつうだが)あまり気にならないのだ。

研究の結果、サティスファイサーと比べて、マキシマイザーは概して幸福でも楽観的でもなく、うつ病にかかりやすいとわかった。 心の安らぎと生活の満足感を求めるなら、サティスファイサーになることだ。

◎「選択の自由」は何をもたらすのか

この四〇年の間に、アメリカ人の平均所得は倍になった(インフレ調整後)。 皿洗い機の普及率は九%から五〇%、エアコンの普及率は十五%から七三%に増加した。 ところが、それに比例して幸福だと感じる人が増えたようには思えない、とシュワルツは言う。

幸福がもたらす主な要因は、家族や友人との親密な関係である。 だが、ここに矛盾が生じる。 実際には、人との結びつきが蜜になれば、選択や自主性の妨げになるのだ。 たとえば、結婚すると、他の相手と自由に恋愛したり性的関係を持ったりすることができなくなる。 したがって、自由や自主性の幅を広げるのではなく、むしろ狭めたほうが確実に幸福になれるということになる。

「それでは、選択の自由があってもそんなにいいことはないのではないか?」とシュワルツは言う。 何しろ、きりがないほど多くの選択肢にいちいちつきあっていたら、大切な人とつきあう暇などなくなる。 選択肢によって生活の質が向上しないどころか、かえって低下することにもなりかねないのだ。 こういう相関関係があるので、ある程度の制約があったほうがゆったりとくつろいだ気分になれるかもしれない。

ある調査では、もしガンにかかったら自分で治療法を選択したいと答えた人が六五%いたのに対し、実際にガンを患っている人の八八%が自分では選びたくないと答えている。 自分で選択したいと望んでいても、実際に選択を迫られると、気が進まなくなるらしい。 選択肢が多すぎると、かえって悩みの種になるのだ。

※悩み?迷い?

◎比べるとつまらなく見えるのはなぜ?

シュワルツはさまざまな調査結果を引き合いに出して、二者択一の必要に迫られると、人は優柔不断になり、不満を感じやすくなる、と指摘している。 たとえば、魅力的なオプションが二つあり、どちらかを買うかという状況になると、実際にはどちらも買わない可能性が高いという。

選択肢が増えても満足度が上がらないのはなぜか? どうやら、責任が重くなるということにこの謎を解くカギがあるらしい。 これに関しては特筆すべき研究があり、取り消し不可能な決定をするほうがむしろ満足度は高くなる、という事実が明らかになっている。 これは、変更できない決定を下す場合、われわれが心理的な努力を惜しまず、その決定を正当化しようとするからだ。 たとえば、結婚に対して柔軟な考え方をしていれば、いずれ結婚生活が破綻するのは当然だろう。

かつて、周囲の友人たちと似たり寄ったりの生活をしていた頃は、ブルーカラー労働者も自分の運命に満足していたかもしれない。 ところが今は、テレビやインターネットなどの普及によって、膨大な数の他人と自分を比較できる。 自分では比較的裕福だと思っていても、常に上には上がいるという事実を見せつけられるのだ。 シュワルツによれば、この「上方の社会的比較」が、嫉妬、敵意、ストレス、自尊心の低下などの原因になりやすいという。

対照的に、「下方の社会的比較」の場合には、恵まれない人に比べて自分がどれほど幸運であるかがわかるので、前向きな気分になって、自尊心が高まり、気が楽になる。 毎朝毎晩「私はとても恵まれている」と自分に言い聞かせ、恵まれているものについて考えるだけで、より現実的な見方ができ、幸福感が強まる。 どちらかといえば自分の境遇に感謝する人のほうが、健康で幸せを感じやすく、楽観的だという。

選択肢が増えれば比較する機会も増えるということを考えれば、幸福になる秘訣は次の二点にまとめられる。

◆取り消し不可能な決定をする。
◆今の生活に感謝する気持ちを持ち続ける。

◎最後に

選択の多さが特に心理学的苦痛を引き起こすのは、絶好の機会を逃すのではないかという不安と、選ばなかったオプションに対する後悔の念にさいなまれるからだが、かつては比較的少数の人間にしか見られなかったこの特異な心理的苦痛は、生活が豊かになり選択の自由が増えるにつれて、まるで伝染病のように社会全体に広がっている。 地球村に住むわれわれは、なぜマドンナのように有名になれないのか、なぜビル・ゲイツのように金持ちになれないのか、彼らに比べて自分の人生はなんと平凡でつましいか、と思い悩まずにはいられないのである。

※平凡でつつましい?

自分がマキシマイザーだと思う読者には、この本が人生を変えるきかっけになるかもしれない。 「〜していればよかった」と悔やみ苦しんだ経験があれば、生活の満足度は実際にどんな経験をしたかではなく、現実と理想とのギャップを感じるかどうかによって違ってくる、ということがわかるはずだ。

この本には、七項目の質問に答えれば、自分がマキシマイザーがサティスファイサーかを判定できる数種類のテストがついている。 シュワルツは自分がサティスファイサーだと認めているが、それは文章を読んでもわかる。 本書は、選択と意思決定に関する「極めつきの本」をめざして、長年、一言一句に注意を払って書き上げたものではないことは明らかだ。 それでも読者の支持を得られたのは、選択の自由とそれが幸福に及ぼす影響に関する数十年に及ぶシュワルツの考案の賜物なのである。

【著者プロフィール】
バリー・シュワルツ (Barry Schwartz)
一九六八年、ニューヨーク大学で文学士号を取得。 一九七一年、ペンシルバニア大学で博士号を取得後、ペンシルバニア州にあるスワスモア大学の助教授に就任。 以後現在に至るまで三五年の間、選択肢は少ないほうがいいという自説を証明するかのように、同じ大学で教育と研究を続けている。
現在は心理学部教授で、専門は社会理論および社会行動学。 また、若くして結ばれた婦人との結婚生活もまだ続いている。
学習、モチベーション、価値観、意思決定などに関する学術論文も多い。 他の著書には、「The Battle For Human Nature, Science, Morality and Modern Life人間性の追求−科学と道徳と現代生活)」、「The Cost of Living: How Market Freedom Erodes the Best Things in Life自由主義経済と人間の生活)」、「Psychology of Learning and Memory (学習と記憶の心理学)」などがある。