どうか”被災者”という言葉に埋もれてしまいませんように。
この度は、東日本大震災に際しまして、被災者の皆様には、心からお見舞い申し上げます。
今、どのように過ごされていますか?
何か困ったことはありませんか?
想像しても、したりません。
心配ばかりが先に来てしまいます。
小さなことでもいい。
些細なことでもいい。
たわいない言葉が、温かい。
愚痴だって大歓迎。
できる限り、続けられる限り、情報を発信しつづけて欲しい。
まだ生きている限り、あきらめないで欲しい。
生きる希望を、持ち続けて欲しい。
忘れません。
そういえば、ボクの実家も被災してたっけ。
水も、電気も、ガスも、電話も使えなくなって・・・。
でも、2階建ての家は、震度6強くらいじゃ、ビクともしなかった。
海も近かったけれど、高台で助かった。
せいぜい、石垣が崩れ、ところどころ、地盤の弱い道路が波打ってたくらい。
マンホールが飛び出したり、ビルが崩れていたりしたとこもあった。
地元の港は悲惨な状態なってたけれど、大夫活気が戻ってた。
あとで、また鮨でも食べに行きたい。
母は、子供の頃は水害に苦労して育ったそうで。
家を建てるときは、地盤が強く、水が出ないところを選んだらしい。
そのおかげで、ボクたちは離れ離れにはなったけど、無事だった。
だから、原発におびえることはあっても、被災者という感覚は、もうない。
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ボクがうつになって、一番辛かったこと。
あの人に、哀れみの目で見られたこと。
自分自身で、そう見てたのかもしれないが。
今でも、あの瞳を思い出す。
言葉をかけてもらえるのは、嬉しかった。
気遣ってもらえるのが、嬉しかった。
でも、言葉をグッと飲み込んで見つめられるの、アレだけはもう嫌だ。
「ボクの何をわかっているんだ!」
心の病は、周囲の目が作るのかもしれない。
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被災者の皆様へ。
被災した事実は、決して、変わりません。
でも、本当の復興は、被災したという事実を忘れ、日常を取り戻すことだと思うのです。
いつの日か、ああ、そんなこともあったねと…と笑って話せるようになることだと思うのです。
心の中にある”被災者”を、すべての人から消すことだと思うのです。
青くさい理想なんですが。
一生かかるかもしれません。
一生かけても、終わらないかもしれません。
ですから、被災者という言葉に、負けてしまわないように。
どうか被災者という言葉に埋もれてしまいませんように。
動ける人は、身近な誰かに、声かけてあげて。
遠く離れたボクたちでは、できないので。
お願いします。
あなたのことを被災者ではなく、名前で呼びたい。
忘れません。