喧嘩?反抗期?

喧嘩は嫌いだった。

喧嘩は醜いと思ってた。

勝っても負けても後味が悪い。

でも、最近、この年になって、喧嘩にも良い面もあることがようやく見えてきた。

まず、気持ちを出せること。

そして、大切な何かに気付かせくれること。

今まで喧嘩が嫌いだったのは、一方的に売り付けられてたからだと思う。

そして、自分からは売ったことがなかった。

何をされても、それはどうでもいいこと…。

反抗心は沸いて来なかった。

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「反抗期」とは良く言ったもんだ。

反抗するのは、その背景に「大切な何か」があるからだろう。

思春期に反抗してしまうのは、たぶん、身近な人に好きになってもらいたいから。

好きな人に、自分という存在を(一人の大人として)認めてもらいたい、そんな思いが込められているのだと思う。

どうでもいい人に、どうでもいい事に、わざわざ反抗したりはしない。

その時にはどうでもいい事に見えてるかも知れない。

でも、意外と無意識に相手を選んでいるものだ。

大抵は、後になってから気付く。

だからさ、喧嘩は好き…かもしれない。

嫌いなのは暴力の方なのだろう。

暴力とは力の強い者が弱い者をいたぶることだ。

一方で喧嘩はお互いの気持ちをぶつけ合うもの。

力が均衡するからこそ喧嘩が成り立つ。

力の均衡が崩れたとたん、喧嘩は暴力になってしまう。

力の使い方を知っている者は、それが感覚でわかる。

だから、無駄な争いはしない。

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「喧嘩するほど仲が良い」とは良く言ったものだ。

喧嘩を売られて買うのは、仲が良い…似た者同士だからだろう。

だから、どうでもいい喧嘩は買ってはいけない

似た者同士というレッテルを自分に貼ることになる。

一方的に損をするだけだ。

喧嘩を買うのは、大切な何かを守る場合、もしくは相手を成長させたい場合、そのどちらかに限る。

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夫婦喧嘩は○○も食わない?

夫婦喧嘩ができるのは幸せなことなのかも知れない。

先日、おじさんの御見舞いに行った時にそう思った。

喧嘩ができるのは、互いに元気な証拠。

そして、ベテラン夫婦になると、喧嘩をしながら相手の調子を伺っているのかも。

気持ちを交わすという意味では、喧嘩は挨拶に似ているのかも知れない。

でも、ま、はた迷惑なんだけどね。

それに離婚して別れた人と話すと、喧嘩が嫌だと言う。

そんな方は多い。

一方的に気持ちをぶつけられていたのだろうか?

それとも、気持ちを出すことが怖かったのだろうか?

原因はわからない。

でも、勘違いしないで欲しい。

一方的に相手を傷めつけるのは喧嘩とは言わない。

暴力だ。

最近ではDVとも言うらしい。

その一線だけは越えたくない。

肝に命じとおこう。

でも、反抗されなくなるのは、ちょっぴり悲しい。

大切な何かを失ってから、その事に気付く。
昨日開幕した夏の高校野球と同じ。

清々しい姿だ。