状況によって使い分けるのが理想。
ブログネタ: アリとキリギリス、どっちの生き方がいい?
やりたいことをやってるハズなのに、どこか気が晴れない。
まるで自分は「アリさん」のように生きているんじゃないか…。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
でも、他の人から見ると、そうでは無かったのかもしれへん。
自分のやりたいことをしていたみたいだし。
自分勝手に写っていたのかも…なんて思ったりもした。
そういう意味では、キリギリスだった。
でも、どこかで自分の気持ちを抑えていたような気がする。
そういう意味で、アリさんだと感じていた。
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小学校の頃の道徳では、答えが決まっていたように思う。
「アリさんのように生きようね」
そんな切羽詰った押し付けが、そこにはあった。
そう感じてる人は多いんじゃないだろうか?
でも、どっちの生き方も大切なんだよね。
この歳になって思う。
子どもの頃は「キリギリス」のように生きるべきだ。
自分がやりたいことを思ったことを、そのままする。
自分がやりたくない気持ちは、ちゃんと外に出してあげる。
わがままでいい。
腐った気持ちを、そのままにしちゃう方が危険である。
受け止めてあげる人が一人でもいれば、きっと大丈夫。
昨今の不可解な無差別殺人事件を思い出す。
これは見せ掛けの平和がもたらした産物なのかも。
命の大切さを見失った結果なのかも。
自分で自分を大切にできへんとね。 腐っちまう。
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「アリさん」の生き方。
「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」を優先する。
一見すると、自分を押し殺してるように感じてしまう。
レールの上に乗ったようなつまらない人生みたいにさw
おそらく、ここに大きな誤解があったように思う。
「アリさん」の生き方。
目的があってはじめて有意義なモノとなる。
目的へと繋がるレールは自分で作ったもの。
そのレールに乗って、わき目もくれずに一心不乱となれる。
この気持ちよさは、目的がある人にしかわからない事実だ。
目的は探すモノではない。 心で感じ、気づくものだ。
少年よ大志を抱け。
目的が定まってないうちは、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと…。
そんな「キリギリス」のような生きた方がより自然である。
迷ったら、考えるより前に、まず行動しろ。
よく言われることである。
そして、何かに躓いたときに「気付く」のである。
「アリさん」の生き方も大切なんじゃないかって。
それで良いんじゃないだろうか?
ようやく、そう思えてきたように思う。
どんな経験も、決して無駄にはならない。
もし、自分に子どもができたなら、そう教えてあげたい。
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「キリギリス」は目的を探すための生き方。
優秀な傭兵を作るのに有効?
「アリさん」は目的を見つけた後の生き方。
優秀な兵隊を作るのに有効?
どちらも、優秀。
要は使い方なんだろう。
まるで「うさぎとかめ」のような組み合わせ、とも思ったけれど。
アリさんは集団で行動することが多いと考えたとき、
もう一つ、別の何かが見えてきた。
集団での自分の役割…だ。
実際、「アリさん」にも、さまざまな役割分担がある。
全体を見るとキチンとした形に見えるけれど、
必ずしも、みんながみんな同じことをしてるわけじゃない。
例えるなら、サッカーのチームメイトような感じ。
周りの繋がりを感じたときに、きっとその大切さが見えてくる。
それが、人生における「自分探し」なのだろう。
まただらだらと、まとまらないこと書いちゃったけどw
読んでくれて、ありがとう。