得るモノがあれば、必ず失うモノが…!?

モノばかりを求めすぎるのは危険だなって、最近感じています。

以下、乱書きです。

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それはなぜかって?

得るモノがあれば失うモノがあるってことに、意外と気付いてないことが多いからです。 失うモノをしっかりと認識した上で、自分で選択していかへんと、あとになって後悔という形で現れてきます。この歳になって、ようやくその違和感に気付いてきました。 悪魔のささやきって奴ですかね。

人は「目の前に何かがあると安心する」みたいでして。 どうしても、目に見えるモノばかりを追い求める傾向にあります。 それが良いとか悪いとかが言いたいんじゃなくってね。 その特性を理解した上で、自分の気持ちが楽になるように選択をしていかへんとアカンなってことです。 ここら辺は否定してもいいですけど、ま、それもまた人生ですし。

そういうことがわかっていたからこそ、昔の人は仏像やお守りを発明したんでしょうね。 モノには心が映し出されるってことを、モノを通して心を共鳴・反発させることも可能だってことを、無意識のうちに理解していたんでしょうね。 そういうボクは…バカにしていました。 よくわからなくって、どこか怖くって、何も知ろうとしなかったんだよね。

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モノとは何か?

代表的なのはお金。

あ、いや、お金を稼ぎが悪いと言ってるんじゃなくてね。 むしろ、お金稼ぎは良い事です。 要するに、使い方次第なんじゃないかって。 とは言っても、まだ心の底からは納得できへんのだけどw

ひとりで使い切れないほど持ちすぎるのはどうかと思います^^ 何でアレ、何がしたいっていう目的があってはじめて生きてくるものなんじゃないでしょうか。 お金に限らず、モノにもそれぞれ役割ってものがありますし。 その役割をまっとうできないモノたちを見ると、役に立たなっていないモノたちを思うと、とてもとても悲しくなります。 もし自分がコイツだったら…なんてさ。

そして、キャッシュカードのように、目に見えなくなる怖さを認識している人はどれだけいるのでしょうか? …ぜんぜん繋がってないですねw

思うに、「とりあえず」ってのは不安の表れなのかもしれません。 まずはそこら辺に気付かへんと、永遠に幸せにはなれへんよね。 いくら持ってもすぐになくなってしまう、その繰り返し。 賽の河原の石積の如く。いわゆる泡銭って奴なんですが、これは脳科学的にも証明されているとか、いないとか。

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近頃、爆発的に普及し続けていると言われているネットでは、文章だけでなく、さまざまなデータが氾濫し続けています。 少なくとも、ボクはそう感じていました。 そんなボクも、最初にネットに触れた頃はワクワクしたもんです。 一気に世界が広がったような気がして。 しだいに慣れてくると、いろんなモノをつまみ食いしているうちに、いつの間にか整理できなくなっていきました。いっぱい情報がありすぎて、情報の渦に埋もれてしまう…。 そんな罠に陥ってしまった人は多いんじゃないでしょうか?

心が吸い取られていく感覚です。

そう感じてしまうのは、自分ってものがまだ確立されていないからなんかなって、今は思います。 なんてーか、自分がやりたいことを見失ってしまった状態とでも言うのかな。 世間一般では人生の目的って言うみたいです。 そして目的を探そうとして路頭に迷い込む…。

実態があるように見えて、もとは単なる0と1の集まりでしかありません。 まぁ、物理空間も似たようなモノだって主張する人たちもいますが、それはおいとてw そこに意味づけをして人が認識できる情報にしました。 そして、愛情を込めて人を繋げるモノになってきました。 実態のないコピーできるモノです。 オリジナルってなんだろう? 考え始めるとキリがありません。

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心を込めようとする行動に変えて。 人と繋がれたと心から感じたとき、きっと理解できますから。 あなたが本当に求めていたモノが何かってことを。