かつてボクがお遍路に旅立った時のこと。

自分の気持ちを吐き出すために書いています。 愚痴っぽいところもありますので、苦手な方はまたのご来店をお待ちしております m(_^_)m

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無事に国立大に受かりました。大学院に進んで最後まで頑張ってみました。 そして、一流と呼ばれてる企業にも無事就職し、気が付いたら辞めていました。

かつてのボクは母の想い、その多くは不平不満を聞きながら育っていたように思います。 帰りの遅い父。 反発して出て行ってしまった兄。 働き尽くめで気持ちにも余裕の無かった母。 そして、ボクが高校1年の夏、母は倒れました。 思い出すのは、疲れて帰ってきた母と、夕食前に一緒に食べた干し芋の味。 地元の干し芋…今では高級品なんだとか?(笑)

小さい頃、地元では評判の御菓子屋さんの末っ子として生まれた母。 毎日忙しく働く両親と、手伝いをする兄や姉を尻目に、構ってもらいたいときに構ってもらえなかったその想いは、今もまだ燻っているように、ボクの目には映っています。 自営業は大変だと、そればかりでした。 優秀な成績だったにも係わらず、お金のことを心配し勝手に大学進学を諦めてしまったこと。 企業に勤めても周りについてけず一年で辞めてしまったこと。 その悔しさを一番近くで聞かされていたボクは、ただ単に母の想いを形にしたかっただけなのかもしれません。 母のことを憎んでも憎みきれなくて。 それくらい大好きだから。

なぜかボクは、自分が苦手とする分野を会社では選択しました。 一年近くの出張が続き、それが終わって元の職場に戻ったら、すべてががらりと変わってしまってて。 しばらくしたら、何も手に付かなくなってました。 やはり、苦手なところは苦手なままだったようで…。 完璧であろうとしたあまり、自分の気持ちに逆らって一人で突き進んでしまった結果なのかもしれません。 そして、ふらりと向かった旅先で、人を傷つけてしまいました。 もう、自分は不用な人だ。 かつてのボクはそればっかりだったように思います。

そんな時に見つけたのが「お遍路」でした。 世捨て人や罪人が向かった人捨て山…そんな噂を耳にして。 すべてのお金を使ってウマい物を食べ、そして死んでしまおう…そんな投げやりな気持ちの旅立ちだったように思います。 でも、結局は死ねなくて。 今も生き延びてしまっています。 何もできないままに。 機会があったら書こうと思ってるんですけどね。 お遍路のことも。 こんなボクにも温かくって。 今でも尚、素敵な文化を受け継いでるところです。 キレイなところも多いしね。

今も尚、母のプレッシャーから逃げたくて、ずっと一人暮らしをしているんですが、そろそろ限界に近づいてきました。 ただ、今も尚、何をやって良いかよくわからなくて。 欲が無くなってしまうと身体も動かなくなってしまうみたいです。 必要最低限のこと以外は。 ただ、暴力とは無縁だったこと、それが唯一の救いだったようにも思います。 でも、感謝できないでいる自分が情けなくてネ。 ただ、ひとつわかったこと。  愛情って、ほんとうの痛みに触れたときに身に沁みて感じるモノなのかなって。 ありがとう。 ごめんなさい。 許してください。 愛してます。