劣等感を改善する方法。

アバミで、こんな質問を目にして。

ボクもそうでしたが、いろんな人が悩んでいるようです。

そのために宗教が生まれた、と言っても過言ではありません。

それぞれにそれぞれの方法で、劣等感を排除し、自己肯定感を受け付けるための方法が書かれている、そんな風に思います。

と、これは、まぁ、ボクの個人的な見解ですが^^

あ、ちなみにボクは哲学書としての宗教は好きですが、基本は無宗教です。 でも、神様の存在は信じてますよ。 一神教であっても、見方によっては八百万の神。  ボク的には同じもの。 と言ったら、怒られちゃいそうですけどね^^ それと、偶像崇拝はアホにみえるかもしれませんが、視覚が発達した人間の性質を考えると、すごい発明だと思っています。

と、脱線してしまいましたね^^

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では、どうして劣等感が芽生えてしまうのでしょうか。

他人と比べてしまうから?

確かに、言葉から考えるとそうなのかもしれません。

だけど、人と比べないようにすることなんて不可能に近いです。

自分ひとりで生きていければ、別なんですけどね。

「他人との比較」は本能に組み込まれた機能の一つです。

自分が成長して行くためには必要不可欠なことだと思います。

そもそも、生まれながらにして劣等感を抱く人などいません。

劣等感は後天的に成長の過程で培われていくものですから。

ここに、劣等感を改善するヒントがあるように思います。

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今までボクは「失敗を通して劣等感が培われていくのだ」と勘違いしてました。

でも、漫画「鉄拳チンミ レジェンド」の台詞にもあるように、「失敗と思えることも次の経験に活かせれば、それは無駄じゃないってことですよね。」、ということなんだと思います。

「失敗は成功の母」と言われるように、人が成長して「大いなる輝き」を手にするためには、なくてはならない大切なことなんだと思います。 失敗を活かすも殺すもあなた次第。

エジソンさんの言葉にも、「私は失敗はしていない。これではうまくいかないという発見を1万回したのだ。」なんてのがありますし。

失敗して落ち込むことはあっても、劣等感が培われていくとは限らないようです。

劣等感が培われていくかどうかは、おそらく、失敗(苦い経験)をした後の対処の仕方に寄るものなのでしょう。

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そうそう。

ドリームキラーという言葉は聞いたことがあるでしょうか。

ボクは数年前に知りました。

子どもに芽生えはじめた夢や希望を、何気ない否定的な言葉で摘み取ってしまう人たちがいるそうで。 そういう人たちを皮肉って呼んだ言葉です。

ドリームキラーになる可能性があるのは、子どもが日常的によく係わる人たち、そう、(育ての)親や教師などです。 彼らが子どもを危険から守るために良かれと思って口にした言葉でさえ、知らず知らずのうちにドリームキラーとなっていることがあります。

そんな子どもを導くべく人たちの存在、周囲の人たちの他愛の無い言葉によって、子どもの夢は壊されていくのだそうです。 そこに悪意があるかどうかは関係ありません。

これを知ったとき、「なるほどな」と共感を覚えたのと同時に、背筋がゾッとしたのを覚えています。

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ドリームキラーと同じように、劣等感も周囲の人たちの何気ない「否定的な言葉」によって培われていきます。 また、「自分はダメなんだ」「自分にはできない」「無理だ」という自己否定に結びつく言葉を繰り返して浴びせることによっても、更に強められていきます。 言葉による自己洗脳ほど恐ろしいものはありません。

前にも言ったように、劣等感は成長の過程で培われていくものです。 成長の過程で、さまざま経験が積み重なって、頭の中の記憶として蓄積されていきます。

あなたの一番古い記憶を思い出してみてください。

おそくら殆どの人が3、4歳から小学校に入る前くらいではないかと思います。

これは、おトイレが一人でできるようになり、自我が芽生え始める時期と重なっています。

この頃から、他人と自分とを区別し始め、話した言葉も理解できるようになります。

記憶が残りはじめるのは、この言葉を覚え始める時期と一致します。

これが偶然によるものとは、ボクには思えません。

劣等感が培われていくかどうかは、記憶の蓄積を助ける「言葉」が関係しているのだと推測できます。

ちなみに、親からの遺伝子は関係ありません。 多少はあるでしょうが、子どもと言うものは、最も身近な存在である親(特に母親)を「真似する」ことが多いですし、こちらの影響の方が大きいように思われます。

子育て中の親御さんたちがあまり過敏になりすぎるとアレなので、言葉遣いに関して、子育てに役立つ書籍を紹介しておきます。

大好き!が伝わる ほめ方*叱り方 / スクールカウンセラー・医師 明橋大二 (イラスト 太田知子)

参考にしてください。

親のせいにできるのは二十歳まで。

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劣等感は、自分や周りの人たちの「言葉の習慣」に寄って植えつけられていきます。

ですから、劣等感を改善したいのならば、まず、自分が話す「言葉の習慣」を意識して変えてみてください。 最初は意識できないかもしれませんが、徐々に慣れていくと思います。 そして、場合によっては、環境を変えてみた方が良い場合もあります。

ま、こんなことは、多くのHowTo本にも書かれていることなんですけどね。 意外と「言葉の力」については書かれていなかったり、その目的について説明不足だったりするのです。 ここで言う目的とは、「劣等感を改善し、自己肯定感を植えつけること」です。 これを「人生の目的」だと言う人もいるくらい、生きるうえで大切なことなのです。

口から出た言葉は、言霊といわれるように、深く深く心の奥に沁み込んでいきます。

自我が芽生えて、自分と他人とを区別するようになる頃から。

言葉を話し、他人とコミュニケーションをとれるようになる頃から。

それと同時に、劣等感も芽生え始めていきます。

劣等感は、そんな言葉をベースとして発展した、人間特有の感情なのかもしれません。

そうそう。

言葉と言っても、本や新聞などはそれほど大きな影響はありません。 これは自分で意識しながら読んでいることが多いからです。 自らの意思で言葉を取捨選択しているからです。

恐いのは、朝、何気なくつけているテレビです。 特に、何気なく垂れ流されるニュース番組には、有用なものも多いですが、と同時に否定的なものも含まれていることがあります。 テレビの音声となった言葉は、無意識のうちにあなたの潜在意識の中に入り込んでいきます。 そして、知らず知らずのうちにネガティブな感情を築いていく危険性を潜んでいます。 あなたの輝かしい1日を台無しにしている可能性がありますので、目的もなく見ているテレビには注意してください。

ボクのように一人暮らしをしてると、「音がないと寂しい」と思う人がおられるかもしれません。 それならば、テレビの代わりに「お気に入りの音楽」を掛けるとか、FM放送など音楽中心のラジオ番組を掛けると良いと思います。 耳を使うことで、普段使っている目を休められますし。 何よりも、ちょっとした心の贅沢が味わえるのが良いです^^

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劣等感が否定的な「言葉の習慣」で身に付いたのだとしたら、逆に、「言葉の習慣」を肯定的に変えることで、上書きすることが可能なハズです。

その方法として、アファメーションなる手法が開発されました。

昔から宗教にはあったようなのですが、近年に入ってようやく心理学的にも解明されてきたようです。

アファメーションとは、言うなれば、「積極的な言葉」を自分に浴びせ続けることによって、良い方向に自分自身を洗脳していく方法です。 洗脳ときくと怪しむ人もいると思いますが(笑)

たとえば、こんな感じです。

「自分が好きだ」 「自分が好きだ」 「自分が好きだ」

「私にはできる」 「私にはできる」 「私にはできる」

そんな単純な言葉を、毎日決まった時間に浴びせていきます。

これ、意外と馬鹿にしたものではありません。

一番最適なのは朝起きてすぐ、太陽の光を浴びながら、です。

そして、できれるならば、就寝前の寝所に入る前に、です。

今日、一日のことを思い出しながら、「お疲れ様」という気持ちと一緒に唱えると、より効果的です。

海外を題材にしたドラマやアニメなどで、お祈りのシーンが出てきたことがあるでしょう?

これこそが、アファメーションのベースとなった考え方です。 …たぶん(笑)

それと、オススメなのが、ホ・オポノポノと呼ばれる南国の習慣です。

これはアバミの人に教えていただきました。 サンクスです♪

「ごめんね」 「許してね」 「ありがとう」 「愛してる」

この簡単な4つのキーワードを唱えるのです。

アファメーションと似ていますが、「許す」という大切なキーワードが入っています。

もし、得体の知れない罪の意識に悩まされているのならば、効果が期待できます。 繰り返していると、あるとき、心がフワッと軽くなるような気分を味わうことができます。 心の奥に突き刺さった楔(くさび)が取れたように感じる瞬間で、とても気持ちが良いんですよ。

簡単なことですから。

是非、試してみてください。

騙されてみてください(笑)

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ついでに、「ネガティブ思考」に関して。

多くの方が、「ネガティブ思考」に悩まされ、それを取り除こうと必死になっているように思います。

でも、ネガティブな「感情」までも否定するような安易な考え方はどうかと、ボクは思うんですよ。

賢明な人ならば、そこに矛盾が潜んでいそうなことに気が付くでしょ?(笑)

自分の中に沸いてきたネガティブな「感情」までも否定してしまうのは、何かが変なんです。

この感情は、人類が多くの年月をかけて獲得した大切なものなのですから。

自己防衛本能の一つ。

ネガティブな「感情」のすべてを消し去ることなんてできません。 神様でもない限り…ね。 あなたは神様になろうとでも言うのですか? そうではないでしょう?

ネガティブな「感情」も、あたなの大切な感情の一つです。

醜くて、汚くて、嫌になるかもしれないですが、大切なあなたの一部なんです。

それだけは忘れないでください。

確かに、「否定的な言葉」を周囲に撒き散らすのは、どうかと思いますよ。

でも、まぁ、時には愚痴や弱音を吐きたくなるものです。

愚痴が嫌いだからと言って、そのまま放置しておくのは危険です。

愚痴を溜めすぎると、身体も心も蝕まれていきますし。

そして何より、自分では出さないように頑張ってみても、無意識のうちに漏れているものです。 思わず誰かに当ってしまったり、知らず知らずのうちに周りに迷惑を掛けていることはありませんか?

愚痴などは、影響の小さいうちから対処しておくのが、素敵な大人になる最低条件だと、ボクは思います。

自分や周りを不快にさせないような愚痴を吐き出すためのテクニックもありますから。 身に着けておいて損はないと思います。

それと。 愚痴はネガティブな感情かもしれませんが、実は単なるエネルギーの一つなのです。 家庭で使われている電気を思い出してみてください。 一般家庭で使われている交流です。 中ではプラスとマイナスが頻繁に入れ替わっていますが、意味のあるのは電圧だけです。 携帯の充電アダプタを見てみると、「入力:AC100V」などと明記されていますよね? それだけのことなんです。 プラスとかマイナスとかは意味がありません。

愚痴も単なるエネルギーの塊と考えれば、自分の中でうまく処理をして、ポジティブな行動に変換することだって理屈上は可能なわけです。 これはある意味革命ですw

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最後に。

精神と肉体とは繋がっていますから、「身体が歪み」が心に影響を及ぼすこともおおいに考えられます。 ヨガの思想ですね。

特に運動が苦手、身体を動かすことが億劫だという人は、「身体を歪み」を疑ってください。 人間は動物であり、身体を動かしてナンボの生き物なのですから。 本来、身体を動かすことは「気持ち良い」と感じるのが自然なんです。

それと同時に、「身体意識」を鍛えると良いです。 ここで身体意識について書かれた書籍を紹介しています。 参考までに。

性格と身体との関係について。

「身体の歪み」を改善し、運動することが「気持ち良く」感じるようになれば、劣等感を薄めていくことも可能だと思われます。

ただ、心が病んでいるうちは、身体を「気持ちよく」動かすことは難しいと思います。

無理をしないで、ボチボチとね。

「習慣化」していくことが大切なのですから。

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ここまで読んでくださってありがとうございます♪

心に沸いてきた感情が消えないうちに書きました。

あなたに読んでもらいたくて書きました。

思いつくままに書いたので、まとまりのない文章になってしまったかもしれません^^

これに凝りずに、また訪問してくださったら嬉しく思います。

では、また。

らっぱの。