すべての道は愛に通ず。

すべての道は感謝に通ず…と言うと(かつのてボクが見ると)ちょっと重たい印象を持つので、愛にしてみました。 愛にはいろんな表現があると思いますが、ここで言ってる愛は感謝としての愛です。 慈愛とでも言うのでしょうか。 すべての愛はこの派生的な表現(欲望を満たしたり、何かしらの不安を埋めるためのもの)やと、ボクは思っています。 恋愛関係とか、いい例です。 慈愛こそ、究極かつ唯一で、まじりっけのない愛の形という認識です。

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かつてボクは人生の目的について考えたことがあります。 と言うか、今でも考え続けていますが(笑) いろんな人の言葉を見て、なるほどな!と思いつつも、なかなか心に落ちてきませんでした。 愛とは何か? 感謝とは何か? 言葉の意味を知ってるようで、何も知らなかった自分がいることに気付き、その言葉の意味について思いを廻らせ続けました。 そして今、ようやくひとつの結論に達したような気がします。

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感謝を言葉で表現すると、「ありがとう」、「いだたきます/ごちそうさま」などのようなものが上げられると思います。 これらの言葉が気持ちよく言えるようになることは、たぶん、「大人の階段」の中の一段です。 少なくとも、ボク的には。 古いアルバムのなかぁ〜にぁ〜♪ 仏教も、もう少し馴染みやすくて分かりやすい言葉を使えばええのにね。

ボクはかつて「ありがとう」が嫌いでした。 最初は「ありがとう」と言われるのが妙にこそばゆくて。 そんなつもりでやったんじゃないや!って、反発する感じで。 相手の感謝の気持ちを素直に受け止められない自分がいました。 「いだたきます/ごちそうさま」を言う意味も、教えられて知ってはいましたが、面倒だなと思って適当にボソボソと言うだけでした。 感謝するってことが、よくわからなかったのですから、当然と言えば当然なのでしょう。

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感謝することはとても気持ちいいもののようです。 そして、感謝されることも。 天邪鬼なボクは、なかなかそれが理解できませんでした。 だから、なぜそうなのか?、頭の中で考え続けました。 いろんな人の言葉を書籍やネットで漁りながら。 そうしてると、妙に気になる言葉だけが心に残るんですよね。 あとはそれらを紡ぐだけ。 時間は掛かったけれど、ゆっくりと丁寧に時間を掛けてやればできないこともない作業でした。 と言うか、むっちゃ面白いw

そうしてるうちに、感謝と言う言葉が理解できなかったのは、心の底から感謝したことがなかったからだ、と言うことに気付きました。 そりゃ、そうなのかも。 究極的な感謝が人生の目的みたいですから。 周りから感謝されていたことはあったのかも知れないけれど、ボクの中のATフィールドみたいなバリアが邪魔をして心の底まで届きませんでした。 このことに気付けたことは大きかったです。

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どうすれば感謝できるのか?

最初は、言葉に出すことが大切。 「ありがとう」と言う、 「いただきます/ごちそうさま」と言う。  見よう見まねでいいから。 でも、心からの感謝はなかなかできませんでした。 次に行うのは、心を込めて言う。 言葉に気持ちを乗せる、いわゆる言霊というヤツ。 とにかく、毎日、続けることが大切。 ただイヤだったら無理にはしない。 自分の気持ちにウソを吐くことは感謝じゃなから。

ボクが一人暮らしをするようになって10年以上になりますが、いつの間にか自分で料理するようになりました。 最初は不味かった。 でも、自分で作ったものは残さず食べちゃうんですよね。 不思議なもんです。 今でも、美味しくできないことの方が多いのですが。 でも、あるとき、どうせなら美味しくいただきたいって思い始めて、自分なりに考えて丁寧に作るようになりました。 最初は材料の下ごしらえから。 ひとつひとつ丁寧に刻むことから。 火加減。 レンジの活用。 調理の手順。 盛り付け。 などなど。

そうしてるうちに、あぁ!そうか! 美味しくいただくことがそのまま感謝になるんだな。 そんな当たり前のことに気付いてる自分がいました。 だって、美味しいものに出会うと自然と嬉しくなりますもんね。 今まで美味しいものと言ったら飯屋に行って食べるもんやと思ってました。 恥ずかしい…。 そして、美味しく食べるためには、まずは健康であり続けること。 この健康維持ってのも人生のテーマのひとつなんですよね。

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料理以外にも、いろんなことを突き詰めていくと、感謝に行き着くような気がしています。 そして感謝とは、とても当たり前で単純なものだと言うことに気付くでしょう。 おそらくは、ちいさな感謝を少しずつ重ねていくと、愛(※慈愛)に出会うのだと思います。 というか、愛に気付くのかな? 最初から、そこにあるものですもんね。 灯台下暗しって言いますし。 そして、愛に気付くことが、人生の目的に至る長い道のりにおいてのひとつの目標になるなのかなって、朧気ながらに感じたしだいです。

追伸: 愛するだけは半人前、受け止めてはじめて一人前。 そして、自然の一部だと実感するのです。