なぜボクがコンビニで買い物をしなくなったのか。

切っ掛けは、会社を辞めて自由な時間ができたってところが一番大きいと思います。 自炊するようにもなり、今までとは違った主婦的な視点で世の中を見るようになりました。 如何にコンビニが割高だってことを実感してしまいましたしw ← 頭の中ではわかってたんやけどねw

まったくコンビニを使わなくなったってわけではないんです。 今年に入って2回ほど利用しました。 振込用紙でコンビニが使えたのと、足りなくなった年賀状を買ったりとか。 便利だから何でも利用するのではなくて、便利だから急に必要になったときに臨時で使うという視点に変わってきました。

コンビニと同じように、あまり利用しなくなったところ。

 ・百円ショップ ← 以外と割高。
 ・ファーストフード&ファミレス ← 食べた後で口の中に違和感が…。

良いモノなら売れる時代は、90年代のバブル前・安売り大手ダイ○ーの躍進や、ここ最近ではヤ○ダ電気の影響もあり、完全に終止符が打たれた感じがありました。 更に、最近では、安くければ売れる時代も、同じように終わりつつあるような感じがしてます。 安くてもすぐに壊れてしまうモノが多くなったような気がしますし。 建築分野での不正、家電製品の事故、食料品の事故、汚染米の不正転売とか、民間でも、官庁でも、いろんなところで泥沼っぽくなってきています。 そんなニュースばかりが流れているのって、聞いてるだけでイヤになってきます。 どこに責任があるのでしょうか? どうすれば改善するのでしょうか?

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昔話…。

怠け者のボクです。 便利だからいいんだよね♪って、いつも必要でもないのに、ついつい買ってしまいます。 で、最近ボケてきたなぁ〜って、いつも感じてました。 いろんな新しいモノを買い漁ってはコレクター気取りになって満足していたように思います。 だけど、買ったモノはそのままホッタラカシで放置プレイ、埃が溜まっていました…よ。 例えば、ゲームソフトをちょっと遊んでは他のゲームをしたり、買っても一度もやらなかったり。 なんだかわからないけれど、いつも不安でしたね。 その不安を紛らわすためにモノを買い漁っていたのかもしれません。

毎日頑張って働いて、疲れきった身体で終電を待って、家に帰るとバタンキュー♪ 翌朝また早起きして、コンビニで弁当を買って出社していた自分がいました。 仕事でイヤなことがあっても不平も言わずに、だけど心はイヤなまま無理に好きになろうとすることを頑張っていました。 好きになれない自分をいつも責めていたような気がします。 頑張っているつもりになっていました。 今思うと、努力するとか頑張るってことを勘違いしていたのかも知れません。 いつの間にか、自分で物事を考えることが、とても億劫になっていました。 好きなことですらどうでもよくなっていました。 新大阪の駅で終電を待っていた時でしょうか…ね。 いったい自分は何をしてるんだろう?って、いつの間にか毎日が同じように過ぎていく感じになっていて、今思うと、何を見ていたか記憶になくって、視界から色もなくなっているような感じだったと思います。

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ここ最近は、国際競争力(=安さ)を確保するために、大手企業は賃金にまで手を出すようになっていました。 そんなんじゃ、企業は儲かってたとしても、そこで働く人の心はすさんでいき、やがて社会にまでほころびが出てきます。 安さの裏に隠されて悲劇を見過ごしてはイケません。 安さを追求して何か良いことありましたか? モノ作りの国・日本の良い所がそぎ落とされていき、逆に世界的に見ても日本の影が薄くなってきた感じがしています。 聞くところによると、西欧のとある国では派遣社員であっても正社員と同じような待遇と賃金が支払われているそうです。 つまり、正社員と派遣社員の違いは働き方だけなんです。 当たり前と言えば当たり前。 将来の日本も、そんな風に変わっていかなければならないよな!と強く感じています。

オバマさんが言うように、政治家一人がやっきになっただけでは、そんなに大きな変化は望めません。 政治家が政党の枠を超えて動かなければイケない時期に来ているように、国民とも一緒になって、目指す方向がひとつになって、一丸となって、国民一人一人が率先して動けるようになってはじめて、社会が少しずつ変わっていくのでしょう。 自分が楽に楽しくできることから少しずつ変わっていくことが、未来に繋がっていくのでしょう。 まずは、ひとりひとりが行動に移すことを、ひとりひとりが声を上げることを。 自分たちにとっての住みやすい、すなわち、一番弱い立場である「子ども」が住みやすい社会になるように改善していくために。