恐怖というもの。
恐怖について誤解してた。
お化け屋敷で感じるようなアレが「恐怖」だと思ってた。
(/▽\)きゃー♪
でも、ボクの見つけた恐怖は、それとは少し違ってた。
もっと身近で、もっと目の前にあるものだった。
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ボクにはずっとできなかったことがある。
「昔のメールを開くこと」だ。
たぶん、物理的にはできる。
やろうと思えばできるのだ。
でも、なぜか億劫に感じてしまう。
「なぜできないの?」
理由や原因ばかりを追求しようとしてた。
ずっとできないままだった。
頭の中だけの「理屈」だけで対処しようとしてた。
ずっと行動することができなかった。
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「億劫に感じる」こと。
例えば、散かった部屋の片付けができなかったり。
例えば、テスト勉強が身に入らなかったり。
例えば、今晩の献立が思い浮かばかかったり。
例えば、あの子に告白したくてもできなかったり。
例えば、プレゼンの準備が進まなかったり。
例えば、セールスで玄関チャイムが押せなかったり。
なんでもいいんだけど。
そんな「ちょっと気が重くなってしまうこと」だ。
これは誰にでもあることだと思う。
「え? ないって? それはスゴイな!」
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「メールを開く」。
普通の人から見えば、なんてことはない作業だろう。
でも、ボクはずっとできなかった。
一歩踏み出せば、なんてことはないのに。
その一歩がなかなか踏み出せないでいた。
そいで、「自分が悪い」とか、「自分は怠け者」とか。
いつも自分に言い訳ばかりをしていたように思う。
勝手に「自分にはできない」と決め付けていたように思う。
いつもは無理してやっていたし、それで良かった。
でも、今回のはそうはいかなかった。
心のエネルギーが尽きてしまったのかもね。
心療内科の先生には、そう言われた。
「心のエネルギー」って、、、何?
言ってることが、ボクには理解できなかった。
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そんな時、ある話を聞いて、「恐怖」の存在を知った。
「コレだ!!」と思った。
そう、この「メールを開く」の裏に潜んでたのが「恐怖」だった。
ずっと気づかなかった。
「メールを開く」は、たぶん昔の「何か」と結びついている。
まあ、それが「何か」ってのは、どうでもいい。
いくら突き詰めても、わからなかったし。
わかったと思っても、結局は行動できなかったし。
いつもならギリギリまで待って、最後の最後でようやく重い腰を上げる。
「期限」があったし。
そうやって自分に鞭打ちながら無理してやっていた。
結果が良いときはそれでも良かったんだけど。
そうでないパターンが続くと、余計に億劫になるんだよね。
そうやって悪いパターンにハマっちゃうと。
心の中に「苦手意識」ってのが埋め込まれていくのかな?
そいで自分に「苦手のレッテル」を貼って、気にも留めなくなる。
嫌なことは、無意識に、意識外に置こうとする、、、らしいし。
でも、いくらそうだったとしても。
実はずっと気になってしょうがなかった。
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嫌なこと、そのメールのことを想像したときのことである。
呼吸が浅くなっている、いや、止まってる?!
どうりで息苦しいはずだ。
「恐怖」を感じたときの変化が、ボクのカラダにも起こってた。
「ああ、なるほど!これが恐怖なのか」
はじめての体験だった。
この変化に気づいた時、客観的に自分を観察できるようになった。
少しずつ。
少しずつ。
ちょっと右の頭の奥が重いかも?
あ!呼吸に意識すると楽になってきたかも?
少しずつ。
少しずつ。
「息苦しい何か」(恐怖?)が和らいでいくのがわかった。
「これはスゴイ!」と思った。
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たぶん、恐怖は立ち向かうものではない。
たぶん、恐怖は受け入れるものだ。
今回の件で、そのことが実感として体験できたように思う。
恐怖は周りの何かに反応することで目の前に現れる。
でも、見えない。
感じてはいるけれど、無意識に見ないようにしてしまう。
だから、なかなか気づけない。
本当は気づいているのかもしれない。
でも、直視することができない。
「恐怖を直視する」
その点で言えば、恐怖は立ち向かうものなのかもしれない。
でも、実際は「恐怖に気づく」だけでいい。
立ち向かおうと思っても、そもそも、気づけないのだから。
目に見えていても、気づかないのだから。
実に恐ろしい。
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【恐怖を克服する方法】
1.まずは、ココロのステップ。
恐怖の存在に気づくこと。
肝心なのはここ。
ここが八割。
気づくまでが、大変だと思う。 慣れるまでは。
でも、いったん気づくことができさえすれば、あとは楽。
2.次に、カラダのステップ。
恐怖を感じた時に起こるカラダの変化に気づくこと。
呼吸。
姿勢。
頭痛、、、などなど、パターンがある。
人によって違いはある部分もあるけど。
呼吸が小さくなったり、姿勢が悪くなったり。
共通してる点も多いと思う。
その自分のカラダに起こる変化のパターンを知ること。
カラダに起こる変化を客観視できればしめたもの。
客観視をしながら、少しずつ動いてみる。
いろいろと試しながら、自分が楽に感じる状態を見つける。
ここが一割。
3.「大丈夫だな」と思ったら、残りの一割。
最後のステップだ。
と言っても、繰り返しなんだけれど。
少しずつ慣らしてく。
嫌なことを思い出す → カラダに起こる変化を観察する。
この繰り返し。
変えるのは「嫌なことを思い出す」の方。
いろいろと試してみる。
恐怖な存在に少しずつ近づきながら。
今の自分の限界を見極める。
恐怖にギリギリ迫ってみて、
自分の中のココロとカラダに起こる変化を体感する。
ココロとカラダで遊んでみる。
子どもの頃に遊んだ「だるまさんがころんだ」を思い出す。
慌てない。
慌てない。
一休さんのように落ち着いて。
決して原因を追究しようとはしないこと。
きっと、そのうちわかるから。
この段階で、慌てちゃあ、イケない。
ボクは、いきなり原因追求だったんだよね。
とても大切な「ステップ」が抜けていた。
焦りすぎていたのだろう。
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大丈夫。
必ず一歩が踏み出せるようになる。
はじめの一歩。
一歩を踏み出し、行動しながら、
またココロとカラダの変化を観察する。
そうやって、いつも注意を向むけてあげる。
そのうち「ああ、大丈夫かも」と思えるようになっていく。
いつの間にか「恐怖」は消えて、他の何かになっていく。
とても不思議な感覚。
味わってみて。