「三陸海岸大津波」印税、被災地へ寄付。

ステキな記事が目に留まりました。

増刷続く吉村昭さん「三陸海岸大津波」 印税を被災地に asahi.com 2011年5月9日18時53分

 「戦艦武蔵」などで知られ、2006年に死去した作家吉村昭さんが40年前に発表した記録文学三陸海岸津波」が東日本大震災以降、増刷を重ねている。三陸沿岸を襲った3度の大津波を題材にした作品。妻で芥川賞作家の津村節子さん(82)=東京都三鷹市=は、増刷分の印税を被災地に寄付している。

 「三陸海岸津波」(原題は「海の壁――三陸沿岸大津波」)は1970年、旧中央公論社から出版された。2004年以降、文春文庫版で5万部が出ていたが、東日本大震災後に全国から注文が相次ぎ、この2カ月間で15万部を増刷している。

 吉村さんは昭和40年代、三陸沿岸で明治から昭和にかけての津波を取材。生存者の証言などから「三陸海岸津波」を著した。

 1896年の大津波後には、高台に移転する住民が相次いだが、「津波の記憶がうすれるにつれて、逆もどりする傾向があった」と指摘。特に漁業者は高台の不便さを理由に「希(まれ)にしかやってこない津波のために日常生活を犠牲にはできないと考える者が多かった」と記している。

 文庫版の版元の文芸春秋社では「歴史的な示唆に富む本として見直されているのだろう」と分析。災害時に飛び交った様々な流言飛語を取材した「関東大震災」(文春文庫)も、東日本大震災後に3万部を増刷しているという。

 これらの印税を、妻の津村さんは被災地の岩手県田野畑村に全額寄付している。田野畑村は少年たちの集団自殺をテーマにした吉村さんの初期の小説「星への旅」の舞台になった地。吉村さんは同村の名誉村民でもあった。

 津村さんによると、吉村さんは「津波の被害を受けても、結局は海岸に街ができてしまうんだよな」と口にしていたという。

 津村さんは「作品に創作は含まれておらず、今読んでも臨場感がある。津波の恐ろしさに対する警告や、被災地の復興の参考になればうれしい」と話している。(安倍龍太郎
.

三陸海岸大津波 (文春文庫)

吉村 昭
文藝春秋
売り上げランキング: 10