李忠成(サンフレッチェ広島)選手について。

李忠成選手、2011年1月29日(土)に行われたアジアカップ2011(平成23年)で一躍有名になりました。 決勝のオーストラリア戦、延長後半にゴールを決めたあの鮮やかなボレーシュートはお見事! まさに芸術品でした。 代表最初のシュートであのシュートが打てるのですから、彼の度胸には目を見張るばかりです。

李がダイレクトで決めた!スゴイ!優勝おめでとう!〜日本vsオーストラリア:1−0(サッカーアジア杯決勝戦2011年1月29日土)

20110129
※延長後半、シュートを放つ李=ロイター
毎日jpより

どんな選手かわからなかったので調べてみました。

李忠成(Wikipedia) (1985年12月19日 - )は、日本のプロサッカー選手。東京都田無市(現・西東京市)出身。ポジションはフォワード。Jリーグサンフレッチェ広島所属。東京都立田無高等学校卒業。 / 在日韓国人4世。2007年に日本国籍を取得して帰化

様々な思いを胸に試合に臨んだんでしょうか。

両国の友好の架け橋になると良いですね。

今後の活躍にも大いに期待しています!

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--- ニュースなど

ボレーは祖母と練習=李―アジア杯サッカー / gooニュース 時事通信社 2011年1月30日(日)21:03

 途中出場で決勝ゴールを決め、ヒーローとなった李は一夜明けても興奮冷めやらぬ様子。 眠ったのは朝7時だったそうで、それまではインターネット動画サイト「ユーチューブ」で自分のゴールシーンを繰り返し見たという。 「何度見てもあきない。 すげーと思った」と言葉を弾ませ、「外していたことを考えるとぞっとする」とも。 鮮やかな左足ボレーは、小学校一年の時から亡き祖母にボールを投げてもらって練習していたといい、「おばあちゃんに感謝しています」と話した。

おばあちゃんとの思い出のボレー。 素敵です。

代表初ゴールが決勝点…帰化5年目の李忠成 / gooニュース 読売新聞 2011年1月30日(日)21:38

 青いサムライたちが苦しい戦いを次々に乗り越え、アジアの頂点に立った。

 日本代表がオーストラリアを下した30日未明のサッカー・アジア杯決勝戦。 延長で決勝ゴールを決めたのは、帰化してまで代表ユニホームにこだわり、人一倍の努力を重ねてきた 李忠成 ( りただなり ) 選手(25)だった。

 延長後半の109分、長友佑都選手(24)が左からクロスを送った時、突如としてゴール前に李忠成選手が現れた。 満員の観衆の視線を浴びた背番号「19」は体を右へ傾け、左足で正確に球をとらえた。 「あんなきれいなゴールは一生取れないと思う」。 日本のサッカーファンの心に長く記憶されるだろう鮮やかな代表初ゴールが値千金の決勝点となった。

 大歓声がわき起こる中、Jリーグの試合と同じ、矢を射るパフォーマンスを披露した。
左足ボレーは「小学生の時から繰り返し練習してきた」得意技だった。

 20日前の初戦ヨルダン戦に出場してから、プレー機会がなかった。 だが、気持ちを切らさず、練習に打ち込んだ。 試合後、「もう1回チャンスが来ると思っていた」「
最後に俺がヒーローになると、毎日、思い続けていた」と興奮した様子で打ち明けた。

 J1・柏で出場機会に恵まれず、広島へ移籍したのが2009年。 そこでもベンチを温めたが、昨秋、主力の負傷で巡ってきた機会に得点を重ねた。 これがザッケローニ監督(57)の目に留まり、代表に呼ばれた。

 在日韓国人4世。 韓国の19歳以下代表候補に招集されたこともあるが、代表からは漏れ、日本代表でのプレーを目指して06年に帰化申請した。 翌年、認められて08年の北京五輪に出場した。 「
日本の中で、日本の文化で育った。日本代表のメンバーとしてアジアを制覇し、最後に自分が決勝点を取った。誇りに思います」。苦労を乗り越え、一夜でシンデレラボーイとなった若者は喜びをかみしめた。(ドーハ 大塚貴司)

必ずチャンスが来る!ヒーローになる!毎日思い続けた・・・。 出番が無くても辛抱しながら準備し続けるって、ほんとスゴイ根性です。

「おやじ、やったよ」李選手が報告 / gooニュース 読売新聞 2011年1月30日(日)23:30

 決勝終了直後、 李忠成 ( りただなり ) 選手の父、 鉄泰 ( てつやす ) さん(52)のもとに李選手から電話があり、「おやじ、やったよ」と興奮した口調で報告したという。

 これに鉄泰さんは「やったな。一番(点が)欲しい時によく決めた」と、大仕事をやってのけた息子をたたえた。

 鉄泰さんは今大会、なかなか出番に恵まれなかった李選手を、「必ず出番が来るはずだから、準備は怠るな」と励ましてきた。 Jリーグでも試合に出られない時期もあった息子には、「雑草のような強さがある」と信じてきたという。

 鉄泰さんは日本生まれの3世。 息子が帰化したことについては、「国籍は紙切れ一枚のこと。ふるさとは日本だと思っている」と全くこだわりはない。 ただ、
日本人以上のことをやらないと代表には呼んでもらえない、という思いは長く持っていたという。 この日の決勝ゴールに、鉄泰さんははじけるような笑顔で「感無量です」と語った。

ほんと頑張った。 素敵なゴールをありがとう! これがはじまりだよ、きっと。

日本代表メンバー発表 ザッケローニ監督会見 AFCアジアカップ2011(1) (2)Yahoo!スポーツナビ 2010年12月24日(金)

2014年のW杯・ブラジル大会に向けて良い準備をしていきたいと考えている。そのため、若い選手を積極的に起用して、チームの若返りを図って、この若い選手たちがもっともっと素晴らしい選手になれるように、その成長を促すことができればいいと思っている。

<メンバー発表>

李については、
代表の座をJリーグでのパフォーマンスで見事にもぎ取ったなという印象だ。だからこのチャンスに挑戦するに値する選手であると感じている。

年末にメンバー発表が行われたときの記事です。 ザッケローニ監督の言葉に何か運命的なものを感じました。

五輪ピッチに「新日本人」…在日のルーツと誇り胸に (1/2)(2/2) MSN産経ニュース(北京オリンピック特集) 2008.8.7 21:16

 在日コリアンのルーツを隠さず、誇りにする「新日本人」。サッカー男子のFW李忠成選手(22)が七日、日本、韓国、そして在日社会へのさまざまな思いを抱え、北京五輪のピッチに立った。

 1点を追う切り札として途中出場した試合終了間際、ヘディングシュートは無情にもゴールバーを越えた。

「流れを変えるだけでなく、点をとらないといけない」

試合後、唇をかんだ。

 
昨年2月に日本国籍を取得した。 ※2007年2月(当時21歳)

 それまで、名前で大いに悩んだ。

 「おおやま・ただなり」

 「イ・チュンソン

 「り・ただなり」

 幼いころから幾つも呼び名があった。「おれの名前、なんだっけ」と思うこともあったが、逆にどれにも違和感はなかった。

 結論は「李忠成」の表記で「り・ただなり」と読む。

 在日4世として育った自分の源流を「いまさら隠せないし、隠したくない。年配の人はおかしいと思うかもしれないけど、堂々と国籍取得して、堂々と世間に出たかった」と李選手。

 ブログでは自らを「新日本人」と宣言した。

 父、鉄泰さん(49)は元サッカー選手。息子にはサッカーをさせないつもりだった。

 「自分のころのサッカーはアマチュアで地味。スポーツなら野球かゴルフ、と思っていた」

 ところが、息子は幼稚園でサッカーに夢中になった。父は「やるなら絶対に点取り屋のFW。ほかなら、やめろ」と言い続けた。

 李選手は日本と韓国、どちらの代表にも同じぐらいあこがれた。日本代表のブルーのユニホームに身を包む前の
2004年、19歳以下の韓国代表候補合宿に参加し、赤いユニホームを着た

 「夢がかなったな」

 心の底からうれしかった。

 しかし、代表入りはならなかった。チームメートと寝起きを共にしながら言葉がうまく通じず、つらい思いもした。

 Jリーグに戻ってプレーを続けた。

 日本に骨をうずめるつもりの自分にとって、日本国籍を取るのが「自然なこと」と強く思うようになった。

 スタンドで見守った鉄泰さん。

 「感無量です。国の代表として汗を流し、最後まで走り回った。合格点をあげたい」

 (共同)

2年半前の北京五輪での記事です。 この悔しい経験も活かされてるような気がしました。


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