布施〜本当の親切とは?
仏教には布施という言葉があるそうです。
最近になって、ボクは知りました。
この布施とは親切のことらしい。
そして、布施には法施と財施があるらしい。
法施とは仏教を人に布教すること。
財施とは物品・金品を人に施すこと。
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法施における人とは、無学な人で知恵を求めている人。
知恵を求めていない人に対する布教はありがた迷惑です。
親切とは逆のものです。 布施とは逆のことです。
ここんところ勘違いしていませんか?
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夜中に押しかけて布教するとか、、、、法施ではありえません。
ここんところ、みなさんは勘違いしてませんか?
相手を考えないでの布教活動は、
法施とは逆の方向のように、ボクには見えますけど?
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法施とは本来は仏教でなくてもいいんだと思います。
ちょっとした生活上での工夫だったり、
生きるための知恵を教えること。
親が子どもにする躾だったり、学校の先生みたいなものかな?
ニューヨークでは、有益な情報は仲間同士で広め合うそうです。
これこそ正しく法施の本質だと思うのですが、どうでしょうか?
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財施における人とは、物理的に経済的に困っている人。
困っていない人に対する財施はありがた迷惑です。
親切とは逆のものです。 布施とは逆のことです。
ここんところ勘違いしていませんか?
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カルト的な宗教団体では金銭トラブルも多いと聞きます。
ここんところ、みなさんは勘違いしてませんか?
ボクには見えますけど?
例えば、団体側経由で貧しい人へ施しているとします。
果たしてそれは、
本当にあなた自身の布施になっているのでしょうか?
そんな楽して、手間隙を惜しんでいる人のところには、
何も返ってこないんじゃないかと、ボクには思えますけど?
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布施という言葉の意味を、今一度、考察してみて下さい。
松下幸之助さんの言葉でこんな一文があります。
「仕事とは道路の凸凹を見つけて平らにするようなもの。」
たぶん、これは布施を参考にして作った言葉だと思われる。
つまり、布施とは、社会の中から凸凹を見つけて、
その凸凹(格差)を小さくなるようにする行為なんだと思う。
物品・金品だけではない。
身体を使って奉仕するボランティア活動も、
立派な財施ではないだろうか?
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この点から言うと、財施を行うには注意しなければならない。
お金の集まるところに物品・金品を渡すことは、
凸凹を広げる方向になりかねない。
とても注意が必要なことである。
本当に困っているのか? 本当に助けて欲しいのか?
そこんところを見定めて行わないと、
財施してるつもりでも、逆の行為をしてることに成りかねない。
お金を一箇所に集めるようとすることは、財施ではありません。
凸凹を埋める方向に、社会的に貧しい方向へと流れるように、
しっかりと相手を見定めて施さなければ、
財施とは逆の行為に成りかねません。
とてもとても難しいことです。
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でも、布施とは本来そんなに難しいことではないんだと思う。
人を大切に思う「愛」があれば、
誰でも行えることなんじゃないだろうか?
そんな素敵でとても単純なことのように、
ボクには思えてならないのです。